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●あこがれの喫茶人●第一回 無言の気づかいは喫茶店の文化

たいていの喫茶店では食べ終わった皿を店員が下げにくる。
これにはどういう意味があるのかご存知だろうか。三択にしてみたのでちょっと考えてみよう。

①食べ終わったら長居せずに退店してほしいから
②ひとつでも早く洗い物を済ませたいから
③サービスだから

この答えは③である。
案外①や②だと思っている方もいるかもしれませんね。もしかしたら中には①や②のためにしている店もあるかもしれない。
しかし、フルサービスの喫茶店においては③であることが大半ではなかろうか。実際、私が足を運んだり働いた店ではそうだった。

まず「フルサービス」とは何かというと、注文を受けることや提供、片付けを全て店員が行うという形態。顧客が席を立たずとも完結するようにサービス=接客をするということ。ほかにも、お冷がなくなりそうではないか、寒そうにしている方はいないだろうか、など困っているお客様がいないか気配りをすること。

お皿を下げるのもそのサービスのひとつ。
空いた皿はそのままにせずに気づいたら下げること。これにはこんな理由がある。

・皿があることでそのあとのお客様の行動の邪魔になるから。
・ケーキの残りくずやクリームの余りが乾いていく様をお見せするのは失礼だから。

私が今まで働いた店ではそのように教わった。
確かに、新聞や手帳を広げたりとテーブルを広く使うには空いた皿は邪魔になる。顧客としても、食べ終わったあとにコーヒーを片手に少しゆっくりしようという時にいつまでも視界に無意味な皿があるのはわずらわしい。
済んだものは一段落した頃に下げ、あとは飲み物を傍らにゆっくりする時間を提供する。それも喫茶店のサービスのひとつなのだ。

そしてここからが今回の本題。
私があこがれた喫茶人たち。観察していると、この食べ終わった皿に関して実にスマートな行いがあることを私は知った。

喫茶人たちは空いた皿を店員が回収しに来ると知っている。
だからこそ、いつでもどうぞと言わんばかりに体から離れた場所、さらに店員から見える位置に食べ終わった皿を置く。そうすると気づいた店員は会釈ですっと皿を持っていく。

皿を下げる人と下げてもらう人、どちらもその意味を知っている。知っているからこそ言葉を用いず心でやり取りする。
客としては読んでいる本から目を外すことなく会釈するだけでいいのだし、店員としてはわざわざ皿が空いているか覗き込んだり声かけで水を差すような無粋をせずにサービスを行うことができる。

美しい。なんて格好いいやり取りなんだろう。
私が感服した喫茶人の格好のよさのひとつがこの無言の気づかいである。

これを知ってから、私も喫茶店に行った際は真似をして済んだ皿をお店の人の下げやすい場所に置くようにしている。
するとそこに確かな心のやり取りが生まれる。下げやすい場所に置いてくれた、下げてほしいことに気づいてくれた、といった互いの小さな感謝である。とても美しい文化だと思う。

所作や動きで思いを汲み取ること。言葉を発せずとも互いの思いやりに気づくこと。それはもしかしたら極めて日本人らしいものかもしれない。
それが店と喫茶人との間に、しかとある。

喫茶店の文化とは、昔ながらの設えやメニューばかりではない。そういったパッケージのことだけではなく、目には見えない無言の気づかいや心であると思う。
店はサービスに常に気を配っており、喫茶人は店員がサービスをしやすいように気づかう。どちらの立場が上だとかはなく、店と客は対等でどちらも敬意を持って互いを尊重しているのだ。

なくなってほしくない喫茶店の文化だ。
手元の小さい電子機器にばかりに目を落とす世の中になっても。

〈余談〉
ちなみにお冷のグラスもしかりで、喫茶人は店員から見える位置、注ぎやすい場所に置くのです。そうするとお皿の回収もお冷を注がれるのも全て手を止めることなく受けられます。

お店側としてちょっと補足。
混雑時などは他に優先事項がありお皿を下げるタイミングを逃す場合もあるのでサービスができないこともあります。
私も客席に出た時はなるべく下げていますが、お皿が死角でちっとも見えない時やタイミングが遅すぎる時はあえてしないこともあります。
また、お客様がお帰りになるまで食器は下げない、という方針でやっている店ももしかしたらあるかもしれません。
ちなみに飲み終わったカップはお客様がお帰りになるまで下げません。これにも理由がありますが、これはまた別の機会に。

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