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●あこがれの喫茶人●はじめに


 コーヒーとはこんなにおいしいものだったのかと気づいたのは、今から9年前、冬の終わりがまだ見えない2月頃、私が35歳になる年のことだった。
 それまで喫茶店やカフェは誰かとともに甘い物やランチを食べに行くところだった。もともと紅茶やハーブティーを好んで飲んでいたというのもあり、コーヒーはランチセットで気が向いた時に選ぶくらいだった。
 感動するくらいおいしいコーヒーに出会ったのは、実際に喫茶店で働くことになってからである。コーヒーはあまり飲まないとおずおずと面接で伝えた私を、まったく問題ないと採用してくれたのがその店の主人であった。勤務初日に、主人の淹れたコーヒーを飲ませてもらって驚いた。私は今まで「おいしいコーヒー」というものを飲んだことがなかったのだと気づいた。
 その店はネルフィルターを用いてハンドドリップするという抽出方法である。コーヒー初心者の私は、ネルドリップコーヒーってなんておいしいんだ!とすっかり虜になった。
 もちろん今ではネルドリップ以外で淹れたおいしいコーヒーもたくさんあると知っているが、遅咲きのコーヒー好きとなった私はネルドリップコーヒーを求めてひとり、喫茶店を巡ることになる。そこで喫茶店通いのプロこと「喫茶人」と出会うことになる。

 勉強をかねて抽出方法を見たいというのもあり、カウンター席もしくはカウンターに近い席に座る。そうすると、必ず喫茶人が現れる。
 店主と挨拶を交わして着席する初老の男性、仕事の休憩時間によく来るのであろうスーツ姿の女性、通い続けてどれくらいになるのか想像が膨らむ年配のマダム。年代性別は実に様々ではあるけれど、共通しているのは格好よく喫茶店を利用しているということ。
 スマートな所作、店とのほどよい距離感、利用する側としてのさりげない気づかい。まさに喫茶店通いのプロである。そんなプロたちに出会うたび、その格好よさに感銘し、敬意を持って心の中でひっそりと「喫茶人」と呼ぶことにしたのである。そして自分もあこがれの喫茶人になろうと決意したのだ。
 この連載では、そんな喫茶人について少しずつお伝えできればと思う。

 ただ、誤解しないでいただきたいのは、あくまで私が思う「通う側」としての格好よさである。私の店にはこんな人に来てほしいという願望ではない。
しかし格好いい喫茶人がいなくなるのはとても寂しいので、共感できることがあればぜひ参考にしていただければうれしい。


〈おことわり〉
 川口葉子さんの著書に「喫茶人かく語りき」というのがあり、こちらは喫茶店を営む側のことを喫茶人と呼んでいます。各々が作り上げた造語が偶然同じだったようです。
 文筆家でもない、都会の片隅にある小さな喫茶店の店主が先方にわざわざ断りを入れるのもおかしなものだと思うので、喫茶人という言葉を改めずに使いますが、もし何か問題がありそうでしたら教えてください。
 喫茶店の人にも、喫茶店に通う人にも、どちらに使ってもいい言葉だと私は思います。

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