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小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』7/16(火) 【第26話 Keep it real】

それから週1回、通院することになった。
始めのうちは、精神科を受診していることが
人に知れないよう身を隠すように行っていた。
 
診察と言っても、基本的には話をするだけだ。
最初に生活状況を聞かれるのは同じだが、
その後はその日によって少し違う。

ただ定年前の事を聞かれ色々話をしていると
自分でも気づかされることは多かった。
 
自分の道は自分の手で切り拓いてきたという
自負はあったし実際にそうだとも思ってる。

その一方、固有の組織に身を置いていた事で
その組織特有の価値観や考えに知らず知らずの
うちに縛られ、依存してた事に気づいた。

そこに自分らしさがあったかというと、
それはYesともNoとも言える。
 
Yesの側面は、仕事における自分のやり方や
スタンスを、他を気にせず貫いてきたこと、

Noの側面は、それはあくまで職業人としての
自分であり、それが自分の全てでなく、
ほんの一部でしかなかったということだ。
 
そんな話の流れで、就職するよりも前に
何か打ち込んでいたものがないか?
と尋ねられた。その問いに
高校時代の吹奏楽部の話をした。

 
私は高校3年間吹奏楽部に所属し
トランペットを担当していた。

ただ本当にやりたかったのはサックスだったが
人数の関係で第1希望は叶わず、
第2希望のトランペットを選んだ事を話した。

医師が、微笑みながら言った。
 「へえ、かっこいいですね。
私、音楽は全く、出来ないので、
楽器ができる人は尊敬します。

私、楽器のことも、全くわからないんですが、
また楽器をするのもいいんじゃないですか?」
それは定年して時間を持て余した時に、
何故か思いつかなかった事だった。

 
診察を終えて、受付で支払いを済ませたあと
帰宅しようとしたら、声をかけられた。

橋口「あの、もしかして佐藤さん?」
振り返って見ると自分と同じくらいの年齢で、
小太りの男性が居た。しかし、
誰かわかなかったので素直に尋ねた。

隆「はい。あのー、すみません、
失礼ですが、どちら様でしょうか?」
その答えを聞くと、男は表情を崩し言った。

 橋口「あ、やっぱり佐藤か。
俺だよ、橋口だよ。高校で吹奏楽部だった」
それを聞いて40年以上前の記憶を呼び起こし、
ある人物の記憶と、目の前の姿を重ねてみた。

はっきり言って全く面影がない。とは言え
本人に違いないだろう。私は返した。
 
隆「橋口か!いやあ久しぶり。ごめん、
正直あまりに違いすぎて、わからなかった」
その答えを聞いて、橋口は笑いながら言った。

 橋口「そうだよな、俺でもそう思う。
お前は、変わってないよな。」

流石に、そんな事はないと思うが、目の前の
橋口よりは、当時の面影もあるかとは思った。

その時気づいたが、橋口はパジャマ姿だった。
ここに入院しているのだろう、私は聞いた。
 
隆「いやあ、本当、久しぶり。
一度、同窓会で会って依頼だから、
30年ぶりかな。ところで今、何してるんだ?」
何とでもとれる質問に対し、橋口は答えた。
 
橋口「実は先月からここに入院しているんだ、
肺ガンになってしまって。
先日この病院で肺の一部摘出手術をしたんだ。

もうサックスが吹けなくなっちまったなあ。
俺、高校卒業後も、ずっと社会人のバンドで、
サックス続けてたんだよ。

高校の時と違って、ジャズをやっている。
あ、やってたか。
佐藤は、音楽続けてないのか?」 
話の流れから、そんな質問が来た。
 
佐藤「卒業以来楽器に触ってもないな。
まあ、この年になると色々あって。
音楽からは完全に遠のいてしまったな。
聴くことさえも、あんまりなくなった。」

その答えを聞いて、橋口は続けた。
 橋口「そうかぁ、勿体ないなあ。
確かに今の年齢になると、色々あるよなぁ。
ところで、佐藤もどこか悪いのか?」 

 本当のことを言ってもよかったが、
なぜだか、伏せて答えた。

佐藤「いや、最近ちょっと頭痛が酷くて。
歳をとると、あちこちにガタがくるよ」

 橋口「それ、わかるなぁ。まあ、俺みたいに
大病じゃなくてよかったじゃないか。
俺は暫くここに入院しているから
もしかしたらまた会えるかもな。

なんかさあ、こうやって偶然会えたんだから
また一緒に音楽とかできればいいんだけど、
俺ができなくなっちゃったからなあ。

佐藤も年齢的には、もうリタイア
したんだろ?また、音楽やったらどうだ?
お前のペットはうまかったからなあ。
すぐに勘を取り戻すよ」

橋口の言葉に「そうだな」と答えた。
その後、他愛もない話を少しして別れた。
来週また通院の予定だと伝えると、
会えるといいなという言葉を返され、
久々の再開は終わった。

その日、今まで自分の頭の中に全くなかった
音楽という言葉が、刻まれた。

 
1週間後再び病院を訪れ、診察の際に、
先週この病院で橋口に会った事を話した。
先生は我が事のように共感をしてくれた。
そして、ほぼ思い付きで、私は言った。
 
隆「先生、音楽って、鬱病にいいんですかね?
また、はじめてみようかなあ」医師は答えた。
「とってもいいと思います。気楽な気持ちで、始めたらどうですか?」
その言葉を聞いて、意思が固まった。
 
会計を終え呼吸器科病棟に足を運んだ。
橋口に会えるかと思ったからだ。

すぐに椅子に座る橋口を見つけることができ、
今日は、私の方から声をかけた。

学生時代の友人というのは不思議なものだ。
何十年のブランクを、全く感じさせないほど
すぐに当時の関係に戻れる。

この日会話をする中で正直に鬱病だと伝えた。
そして、先週の橋口の言葉がきっかけとなり、
また音楽をやろうと思っていることを伝えた。
すると橋口から意外な言葉があった。

 橋口「佐藤、もしよければ、俺のサックスを
引き取ってくれないか?
俺は、もうサックスは吹けないし。
お前、入部したときの第1希望はサックスで、
ずっと、『羨ましい』って言ってたよな?」

自分の決断を、更に後押ししてくれるような
橋口の申し出に、私はすぐにのった。

翌週の通院日、橋口とその息子さんに会った。
息子さんは橋口に頼まれ、橋口のサックスを
持ってきてくれていた。

私は橋口と息子さんに心から礼を言いながら
ケースに入ったサックスを受け取った。

高校時代、橋口は、テナーサックス担当だが
今はバンド編成の都合からソプラノサックスを
やっていたらしい。
場所を取らないから、私としても好都合だ。

私は家に帰ると、まるで子供のように、
ずっとサックスを眺めていた。
 
(第26話 終わり)次回は7/18(木)投稿予定

★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0

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