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小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』8/17(土) 【第39話 Narcotic】

私は、洋子の肩を軽くたたき、
目線で、直子の存在を知らせた。

直子の存在に気づいた洋子は、
少しだけ慌て、恥ずかしそうに私から離れた。
少し体を離した洋子に向かって、私は言った。
 
隆「洋子、ごめん、心配をかけて。
それから自分の価値観ばかりを押し付けて、
ごめん。  ほんと、ごめんな。

私は、自分を過大評価していた。
長年、仕事の世界で生き抜いてきたことで、
自分のことを“強い”人間だと勘違いしていた。

でも定年してその世界を一日にして失った。
その時に気づいたんだ。私にとって、
洋子が、いかに大きな存在だということを。

でも、そんな思いが逆に洋子に負担を
強いてたことにやっと気づけた。ごめんな」
 
洋子は言葉を返さずゆっくりと頷いていた。
それを見て、直子が言った。

直子「さ、朝ごはんにしましょうよ」
それを合図にして洋子はキッチンに戻った。
私はダイニングテーブルの自分の席についた。

直子がコーヒーを持ってきてくれた。
いつぶりだろうか?こんなにも
温かい気持ちに包まれた朝を迎えたのは。
 
朝食を食べながら洋子は、今日は仕事を
休むから、一緒に病院に行こうと言ってきた。

しかし3日前に受診したばかりだったので、
次の受診に2人で行くということになった。
来週の火曜日だ。
 
この日、洋子は、あなた、ゆっくりしてね、
と言って洗濯して出かけた。
掃除は直子がした。

自分の部屋で横になってもいいが、
何となく、そのままソファに座っていた。
 
心の霧がほんの少し晴れていくのを感じた。
ただ、偏頭痛は治まってはいない。
引き金は心理的なものだとは言え、
頭痛はやはり不眠によるものだろうと
思っていた。
 
どこまでも自分の弱さを見せたくないために、
洋子に病気のことを話せていなかったが、
今朝の洋子の言葉を聞いて、どうして、
もっと早く言わなかったんだろうと思った。

これから洋子との楽しい生活が訪れる
かもしれない、そう思うと、より一層
自分の体調を何とかしたいと思った。
 
睡眠導入剤は、効いてなくはないが、
不眠を解消するほどには至っていない。
考えてもみると、この時の思考は
因果を誤って捉えていた。
 
そんな私がその時、思いついたのは
以前行った、弦月催眠療法医院だった。

催眠療法を受けた後は、頭がボーっとして、
帰宅してから眠っていたのを思い出した。

不眠が改善すれば自分の体の不調もよくなり、
そうすれば洋子との楽しい暮らしがある、  
そんなロジックを、頭の中に組み立てていた。

私は診察券を見て、電話をかけた。
その日の午後、予約がとれた。
 
洋子からは「もし体調が少しよくなったら、
お散歩とかした方がいいかもしれないですよ。
ずっと家に居るより気分転換にもなるし」
と言われていたこともあった。

昼過ぎに「ちょっと、散歩に行ってくる」と
言って外出するのを直子も不審に思ってない。
私は徒歩で弦月催眠療法医院に行った。
建物に入ると、今日も誰もいない。
 
今日も、薄暗い診察室で問診がはじまった。
そして前回と同じように短い問診が終わり、
若い女性医師の言葉に、徐々に意識が遠のく。

次に意識が戻りかけた時、前回と同じように
遠くで声が聴こえた。

「自分の気持ちを伝えたとしても
互いを完全にわかりあう事はない。
だから衝突を繰り返す。この先も、
同じ事の繰り返しに決まっている」
 
後半になるにつれ徐々に声が大きく聞こえた。
私は、その声を振り払うかのように、
大きな声を出していた。
 
隆「そんなことはない!」 
自分の声に驚き、私は睡眠が解けた。

そして部屋に響いているのは、
自分の声だけだと気付いた。
何か、幻覚でも見ていたのか?

診察が終わると、前回にも増して、
頭の中が、ボーっとしている。
眠りに繋がりそうな感覚はある。
 
帰宅しながら、心に浮かぶのは、
洋子と過ごす楽しい生活、ただ、
同時に言い合いになってる光景も
目に浮かぶ。

人の心情を完全に、言葉で言い表す
ことなどできない。
何か、言葉にすればそれは結局、
軋轢を生む可能性があるという
思考が浮かぶ。

今、自分の気持ちを言葉にして出すことを、
積極的に行わないほうが、いいのでは?
という思いのまま、帰宅した。
頭痛がどこまでも、自分を弱気にする。
 
帰宅すると前回と同じように眠気に襲われ、
そこから小一時間眠ることができた。
頭痛は、おさまっていた。

その一方、心の中では自分から
言葉を発しないほうがいい、
という思いが眠る前と変わらず、
心に留まっていることに気づいた。

リビングに行くと既に洋子が帰宅していた。
洋子は言った。
 
洋子「あなた、少しは眠れていたみたいね。
よかった。もう少しで、ご飯できるから」
その言葉に、言葉で返すのを何故か躊躇した。
 
夕食の時も言葉を発する気力がわかなかった。
洋子は少し心配して言った。

洋子「どうしたの?久しぶりに
外出したから少し疲れた?
今日はゆっくりお風呂に入って、
休んでくださいね。あなた、
慌てる必要はないですからね」 
 
洋子の優しい言葉が心に沁み込んできたが、
頭の中の「思考」は、また、別のところに
あるような感覚だった。
 
(第39話 終わり) 次回8/20(火)投稿予定

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https://note.com/cofc/n/n50223731fda0

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