見出し画像

小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』8/8(木) 【第36話 Indication】

直子が帰省したこともあり、以前と比べると
リングで過ごす時間が増えた。
 
いつも話の流れとしては、洋子と直子の
会話ではじまり、それは洋子の職場の話や、
直子から出産に向けた準備の質問などが多い。

直子が頻繁に、私にも話を振ってくるので、
私も自然と、その会話に入る。
 
洋子の職場の話題は愚痴に近いものが多いが、
私は「こうしたらいんじゃないか?」
というような話をすることが多い。

ただ、今思えば、私の発言に対して、
洋子から答えが返ってくることは、
あまりなかった。
 
そして出産準備の話題については、
そもそも、私が入れる余地は少ない。
とは言え以前と比べ自分なりの意見を
言うことが増えた。

そして、話題は洋子と2人で行く、
Grooveのライブの話に辿り着くことが多い。
それだけライブに行く事は私だけではなく、
洋子にとっても関心事なんだろうと思った。

それからライブまでの
1か月はあっという間に過ぎた。
その間、動画を見て予習はしていた。

それでも持て余すほどの時間があったので、
隔週の通院以外はサックスの練習に割くことが
多くなった。週4回まで練習頻度は上がった。

 
先日、久々に病院での診察を受けた。先生から
「心に活気が凄く満ちてきているようですね。
目標やチェックポイントになるイベントが
あるということは、良い事ですね。
ただ佐藤さん、焦り過ぎてはダメですよ。

自分の心にあるものを出さずに我慢する事も
よくないですが、ただ言葉として発する前に、
一度、反芻した方がいいかもしれないです」

先生が、なぜ、そう言ったのかわからないが、
あまり深くは考えなかった。
 
楽器を演奏するという事は、自分の感情を
表現する手段だと考えるようになっていた。
勿論、どんなに感情が豊かでも、
技術という制約の下でしか表現できない。

ただ、そもそも表現したいものがなければ、
どんなに技術が優れていても
心に伝わらないと思うようになった。
 
自分の病状が快方に向かっていることもあり、
この1か月間は元通りとまでは言わないが、
自分の気持ちを表現する度合いを増やしていく
ように行動していたと思う。

それが、以前の私と洋子の関係に戻るためには
必要な過程だと考えていたのもある。
 
と同時に、そういった考えが頭に浮かぶと、
一方で、違和感を感じる事がしばしばあった。

以前、自分の思考を巡らせてたどり着いた
「愛情」という答えに対して、
自分の気持ちを表現する度合いを
増やしていくという心情が、
どこか矛盾があるような気がしていた。
だが、そこから深く考えるには至らなかった。
 
何より洋子と行くライブというイベントは、
自分の心に高まりをもたらすものであることは
間違いなく、そのライブ日が近づくに連れて、
そんな矛盾に気を留めなくもなっていた。


 
だがライブの日、私が発してしまった言動は、
洋子が望む未来を、自分のそれとすり合わせ、
実現させていこうとする洋子への「愛情」の
実践という事とは、全く相反する思考によって
引き起こされたことは、その後、気づいた。
 
ライブから帰宅すると、直子が迎えた。
2人が笑顔で帰宅する姿を疑わず想像していた
直子だったが、それとは程遠い、2人の表情に
「何かあったの?」と聞いてきた。

私は直子の問いに答えず自分の部屋に入った。
聞き耳をたてる、というわけではなかったが、
洋子と直子が話す声がうっすら聞こえてる。
そして、その日は朝まで眠れなかった。
 
翌朝、頭痛が酷く、起きれなかった。
心配そうな表情で直子が声をかけてきたので、
正直に、頭痛の症状を伝えた。

直子は、私の病気のことを知っていたので、
「大丈夫?   じゃあゆっくり休んでいてね。
具合悪くなったら、声かけてよ」と言って、
私の部屋のドアを閉めた。
 
その後、少しうたた寝をしていたが、
気づくと時計は10時を過ぎていた。
重い体を起こしてリビングに行くと、
直子が心配そうに見た。
 
直子「大丈夫? お父さん?」
私は、ああ、と答えた。直子が朝食と
コーヒーを用意してくれた。

その間も直子は昨日の事を聞きはしないが、
恐らく、知っているのだろうとは思った。
 
このまま、それに触れないのもおかしいので
私から、その話題を話した。

直子は「お母さんから、聞いたよ。
久しぶりに、2人で出かけたから、
お互いがテンションが上がり過ぎて
いたんじゃない。気にすることないよ」
と言った。
 
ただ、私には、直子の言葉すらも、
ほとんど、入ってこなかった。
 
(第36話 終わり)次回は8/10(土)投稿予定

★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?