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小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』8/1(木) 【第33話 Affection】

2時間の練習を終え、ブースから出た。
そして、受付の店員に話かけた。
 
隆「このリードよかったです。高い音が、
凄く前に出ていく感じがして。だけど、
しっかりと吹かないと今度は低音がきちんと
出なくて、ごまかしがきかない、
もっと練習が必要です。それで、
このリード1箱もらえますか?」
 
店員は、棚から3のリードを1箱出した。
私は財布を出しながら言った。

「あと、誘ってもらったユニットの件ですが、
もう少し練習して自信をつけてからですけど、
その機会あれば一緒にやらせてもらえます?」
 
店員はリードを袋詰めながら言った。
「勿論です。佐藤さんは、そう仰いますけど、
もう十分なレベルだと思いますよ。

それに管楽器担当って言いましたけど、実は、
元々、管楽器の経験者は、テナーサックスと、
トランペットの2人だけなんですよ。

他のメンバーは、担当になってから、
それぞれ勉強をはじめた人間ばかりですから。

気軽な、気持ちで楽しんでやりましょう。
気が向けば、いつでも大歓迎ですから。」
そう言いながら、お釣りを手渡した。

 
直子との会話や、店員との会話に、
いつになく心の中が晴れやかになっている。
それもあって以前から考えようと思いながら
深みに嵌まるのを恐れて、
見送っていたイシューに思考を巡らせた。
 
私にとって、洋子とはどういう存在なのか?
ということだ。
 
鬱病になってから洋子と別れた方が
いいのではないか?という考えが
浮かんだことがある。
しかし、その時の答えはNoだった。
 
洋子との張り詰めた生活から解放される一方、
洋子という存在を失うことは、それこそ
“大きな穴”があくと思ったからだ。

では、私が洋子に抱いてる感情は何だろうか?
それを出会ってから、今に至るまでの感情を、
順に、思い起こしてみた。
 
出会った頃は、洋子の、その美貌や優しさに、
間違いなく恋愛感情を抱いていたとは思う。

そして結婚し、子供が生まれた後、いつしか、
2人は父親と、母親という側面が強くなった。
ただ、これは、どこの夫婦でも同じだと思う。
 
そして子供が独立し、それこそ何十年ぶりに、
2人だけになり、出会ったころのままの恋愛、
という感情ではないのは明らかだ。

かと言って惰性だけかと自分に問いかけると、
決してそうではないと思う。もし、そうなら、
迷わず離婚を選んでたはずだ。
 
その次に、私の頭に浮かんだ言葉は、
「尊敬」とか「信頼」という言葉だった。
子供を立派に育て上げたパートナーに対し、
この2つの感情は間違いなく持っている。
 
しかし、その感情だけで、これからも一緒に
道を歩んでいきたいと思った心情の説明には、
少し弱い気がしていた。

勿論、これからの人生でも何かしらの困難が
あるかもしれない。そんな時、信頼し尊敬する
パートナーが一緒に居てくれれば、安心する、
という側面は、勿論ある。
 
ただ、そんな打算的な感情だけでは決してない
ような気がしている。また、信頼はともかく、
尊敬という、よそよそしさを感じるニュアンス
とも少し違う気がしている。
 
以前も、ここまで思考を巡らせた事はあった。
ただ、頭のスタミナが切れてしまった。
でも今日であれば決して諦めることなく、
考えられそうな気がしている。

私はもう少し一人で考えるため、3時間前に、
直子と話をしたカフェに再び入った。
コーヒーを飲みながら再び深い思考の世界に
入り込んだ

人間に限らず、生物が夫婦関係を築くことは、
種の保存という目的に向けて、ある種の本能が
働くのだろう。

生物は皆、より高い可能性で、種を残し
繁栄させれそうなパートナーを選ぼうとする。
 
人間の場合は、それに更に知性が加わるので、
単なる生存だけではなく、自分が望む暮らしを
実現できるかという要素も入ると思う。
 
そして、種を繁栄させ子供が独り立ちした後、
生殖機能が徐々に衰えると、動物であれば、
あとは死が待つだけだ。
人間の場合は、ここからも、長い年月がある。

その中で夫婦関係を維持するモチベーションは
どこにあるのか?色々、考え辿り着いたのは、
やはりパートナーを選ぶときの目的を、
果たすためだということだ。
 
自分が、望む暮らしを、実現するためである。
それは金銭的に裕福だとかいった事ではなく、
自分と、相手が望む未来を実現するため
ということだと思った。
 
ただ少し複雑なのは、結婚をするとき
望んだ暮らしは、往々にして、
自分の想像に基づく。

しかし長い年月、一緒に過ごしていくことで、
相手の考えや望むものが更にわかってくると、
自分と相手の望む未来を、2人でどうやって、
すり合わせるか?という事が加わると思う。

そういった事をうまくすり合わせられないと、
いわゆる熟年離婚などに繋がるのだと思う。
 
だから、この年齢になった時に、
いかに相手が望むものを実現できるか?
そして、その中で自分の望むものを実現した
ときに整合した姿を思い浮かべられるように
なるかが、大切だと思う。
 
しかし考えてみると、これは難解かつ不思議な
事だと思う。家族と言うが、その家族の中で、
唯一、血の繋がりがないのが、夫婦だ。

そんな血の繋がりがない相手にもかかわらず、
相手の望みを叶えたい、そして自分の望みも、
それと合わせたいという感情とは、何か?
 
そのベースには、尊敬や信頼があるのは勿論、
間違いない。そういった感情がないであれば、
相手の望みを叶えたいと、そして自分の望みを
相手のものと重ねたい、とは思わないだろう。
その難解な課題に突き動かす感情は何だろう?
 
その問いに思考の末、私が辿り着いた答えは、
「愛情」という言葉だ。

「愛情」という感情は、夫婦になった時にも、
存在していた感情だと思う。

しかし長い年月を過ごし、相手を知ることで、
人間の深い部分で、その感情は研ぎ澄まされ、
一切の私利私欲を捨てたものになるのだろう。

その考えに辿り着いて、残っていたコーヒーを
飲みほした。
 
そして、小さな声でつぶやいた。
「私は、洋子を愛している」
 
(第33話 終わり)次回は8/3(土)投稿予定

★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0

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