小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』7/25(木) 【第30話 Supporter】
金曜日の午後3時ごろ、娘の直子が帰省した。
荷物は事前に送られたので、小ぶりな鞄だけの
身軽な恰好だ。送られてきた荷物は、
既に直子の部屋に入れてある。
大学は、ここから通っていたので、
3年前まで使っていた部屋だ。
まだ子供が2人居た頃は、
私の部屋というものはなかった。
聡の部屋と、直子の部屋、そして
夫婦2人の寝室という割り当てだった。
子供が生まれ、小さいころは、
妻の洋子と聡が同じ部屋で一緒に寝ていた。
直子が生まれると今度は聡は一人部屋となり、
妻と直子が、同じ部屋だった。
直子が小学校高学年になると、
直子にも部屋が割り当てられて、
洋子が私の寝室に移動した。
ただ、40歳を超えたばかりの頃は、
いわゆる、中間管理職になり、
一番、忙しい時期だった。
休日出勤も多く、まさに、寝るだけの寝室で、
家に居るときに、一番長い時間を過ごすのは、
リビングになっていた。
長男の聡は、大学進学のときに、関東を離れ、
北海道に引っ越した。聡が家を離れてからは、
聡の部屋が私の部屋になった。
そして、それが今まで続いている。
この家は、聡が生まれてから購入したもので、
3LDKのマンションだ。都心からも近い、
練馬に購入し、ローンを組んだが、
定年と同時に繰り上げ返済し、完済している。
この家に来てから30年以上経つが、
妻の洋子と同じ部屋で寝たのは
直子が自分の部屋を持ち、聡が高校を
卒業する前の、5年間だけだった。
しかし、うちが特に特殊でなく、他の家でも、
そんな感じだろうとは思っている。
同じ女性同士という事もあり、
直子がこの家を出るまで、
洋子と直子は話す時間が多かった。
更に今、母としての先輩という要素も加わり、
2人で話す話題に、事欠くことはないようだ。
私と直子に関して言えば、直子が高校までは、
話す時間はとりたてて多くはなかったのだが、
大学進学以降は一緒に出掛ける機会もできた。
“スポンサー”としての役割が、大半だったが、
所謂、思春期を過ぎ受験勉強などが終わると、
接点と、会話は増えたと思う。
今日も自分の部屋で荷物の荷ほどきしながら、
直子は色々と話しかけてくる。
直子「お父さん、この時間、家にいるの?」
隆「そうだな、どちらかと言えば、
この時間は出かけることが多いかなあ。
午前中は、掃除とか、洗濯とかしているから、
どこか行くとしても、午後のほうが多いかな」
直子「え?お父さん、掃除とか、洗濯するの?
マジかあ、イメージないなあ」
隆「今、母さんの方が、断然忙しいからなぁ、
いつもブラブラしているほうが何かしないと」
笑いながら、言った。
直子「あ、でも、もしかして今日私が来るから
家に居てくれたの?だったら、ゴメン」
隆「気にするな、毎日、出かけている
わけじゃないし、時間はいくらでもあるから。
それに、家に居る時は、YouTubeとか
見て過ごすから、大丈夫だよ」
直子「へえ、お父さん、どんな動画見るの?」
直子の問いに、Grooveの動画を再生しながら、言った。
隆「音楽が多いな、特によく見るのがこれ。」
そう言って、直子に見せた。
直子は驚きながら言った。
直子「え!お父さん、音楽に興味あったんだ?
それにこの演奏かっこいいね、あれ?
この右端でベース弾いている人って、
もしかして、木田さんじゃない?」
私は驚いて返した。
隆「直子も、知ってるのか?
Grooveっていうユニットで、
ベースは木田さんだよ」
直子「ごめん、そのユニットは知らないけど、
大学時代聴いてたBisっていうユニットが居て、
そのベースが木田さんだった。
ちょっと前に、解散したって知ったけど、
今、こういうユニットやっているんだ。
ところで、お父さんが音楽に対して、
興味があるなんて、知らなかった。
定年してから?」
隆「そうだなぁ、よく聴くようになったのは、
定年してからだけど、父さん、高校時代には、
吹奏楽部だったからなあ」
直子「え?そうなんだ? 全然知らなかった。
何の楽器やってたの?」
隆「トランペットを担当してたんだよ。
まあ、今は、もう音すら出ないと思うけど」
直子「え!かっこいい!またやったら
いいんじゃない?めちゃくちゃかっこいいよ」
私は、直子の言葉に、気をよくして、
洋子にも言っていないことを言った。
隆「いやあ、たぶんペットは無理だろうなぁ、
あれは肺活量いるから。タバコ辞めれないし。
だけど、高校時代、実はサックスがしたくて、
で、今、サックスを始めたんだよ」
直子「マジ!めちゃくちゃかっこいいじゃん。
ねえ、聴かせてよ。」
隆「いや、ダメだって。大きい音が出るから、
マンションでは吹けないよ」
直子「そうかぁ、どうやって練習してるの?」
隆「駅前の防音ブースを借りて、練習してる。
そこは、時間貸ししているんだよ。
週3回程、行ってるかな。
たまに練習動画を撮ってみて、
チェックしたりもしているんだ」
直子「そうなの?ねえ、その動画見せてよ」
私は言われるがまま、演奏動画を見せようと、
iPadで自分のチャンネルを開いて、
先日撮った動画をタップした。
直子はすかさず言った。
直子「え?お父さん、チャンネルまであるの?
ちょっと、お父さんかっこよすぎなんだけど」
直子の言葉に、私はさらに気をよくしながら、
先日撮影した演奏動画を見せた。
直子「え?!凄い。本当に、これお父さん?」
直子の言葉に笑った。確かに顔は映ってない。
隆「ああ、顔は映ってないけど、私だよ。
以前間違って、一般公開にしたことが
あったから、念のため、
顔は映らないようにしている。」
直子「いや、これ見たら、お母さん、
きっと、惚れ直すんじゃない?
ごめん、もしかして私、邪魔だった?」
その言葉に、苦々しい気持ちも少しあったが、
直子の言い回しが面白く、思わず噴き出した。
そして返した。
隆「実は母さんには言ってないんだ。
いつか、母さんの前で演奏をして、
驚かそうかなあ、と思って。
いわゆる、サプライズってやつかな」
それを聞いた、直子は、すかさず返した。
直子「はい、はい、はい!それ、私協力する!
それ最高だよ。でも、どうしよう?
この年になって弟できたら?」
直子の言葉を聞いて、涙が出るほどに笑った。
そして期せずして、自分の強力な
支持者を得ることになった。
(第30話 終わり)次回は7/27(土)投稿予定
★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0
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