見出し画像

小説『闇に堕ちにて、空に溶けゆく』7/4(木) 【第21話 Second Life】

拓也の回想が4時間前に追いついた時、
部屋に響いた隆の言葉で、現実に戻ってきた。
 
隆「居ない、なぜ??
そこに座っているのは、洋子じゃない!」
 
少女の低い呻き声と同時に、
私達に押し寄せた衝撃波は、
突き当りにある窓のガラスをも、
割ってしまったようだ。

外からさす月明りがほんの少しだけ
部屋の暗闇をやわらげた。

それにより、3人が対峙している
5つの物体が、ぼんやりと認識できた。

呆然と立ち尽くす莉子、そして、
その横には生気なく椅子にうずくまる少女、
更にその前の3つの椅子には、
3体のぬいぐるみが座ってる。

隆をはじめ、3人が建物の窓から見た時には、 
3つの椅子に2人の女性、そして1人の男性が、
縛り付けられ座っていたはずだった。

そのうち一人は、隆が長年連れ添った
妻の洋子だった
 
隆「よ、洋子はどこだ!」 
妻の名前を呼ぶ自分の声に、隆の意識は自然と
2か月前のあの日に引き戻された。

 
 
10月20日、時計の針は21時をまわっていた。
綺麗な下弦の半月を浮かばせた秋の夜空は、
昨日までとは、打って変わった寒さに包まれ
澄んだ空気に加え、雑音も消しているようだ。

隆は、妻の洋子と飯田橋駅の前の横断歩道で、
信号待ちをしている。会話は途切れたままだ。
 
今日は、ずっと妻と行きたいと思っていた、
隆が好きなジャズユニットの、
待ちに待ったライブの日だった。

自分が好きだから押し付けるわけではないが、
そのバンドの演奏は心を揺さぶるものがあり、
ライブの後はきっと、その演奏の話題により、
妻との会話が弾んでいると思っていた。
 
会話が続かないこと自体は、
この半年の中で、珍しいことではない。

ただ今日のライブ後に限って言えば
そんな事はないとは思っていた。

と、言ってもそれはライブのせいではない。
ライブ前にとった、早めの夕食での出来事が、
きっかけだった。
 
夕食は、ライブまで余り時間がなかったので
会場近くにあった回転寿司に入ることにした。
よくあるチェーン店だ。

会話が途切れたきっかけは、いつにも増して、本当に些細なことだ。
 
ただ、この半年、沈黙が支配するきっかけは、
だいたいこんな些細な事だった。
だが今回、更に溝を深めてしまったと感じた。

私が珍しくジャズのライブに妻を誘ったので
洋子も、それなりに楽しみにしていたようで
その日は、終始柔らかな表情だった。

洋子が好きないくらの軍艦が届いて
それはなおの事だった。
 
洋子が目の前のいくらの軍艦を箸で持ち上げ
少し傾けながら小皿の醤油をつけようすると
いくらが2~3粒、重力で小皿に落ちた。
それを見た私は、洋子に向かって言った。
 
隆「ああ、そんな無理に傾けたら、ダメだよ。
軍艦はこういう風に、ガリに醤油をつけて、
そのガリでネタに醤油を塗る感じでやるんだ。

こんなこと、カウンターの店でやったら、
『あ、この人、こういう店、はじめてなんだ」
って、陰で思われるに決まっている』」
 
その言葉を聞いた洋子は、
寿司を皿に戻して、箸まで置いた。
そして、私に聞こえるような、
大きなため息をつき、目を見て言った。
 
洋子「もう自分の好きなように食べさせてよ、
回転寿司くらい。もう本当に息が詰まりそう。
あなたが定年退職してからの1年というもの、
こんな事ばかり。

あなた、職場でそんな感じで、自分の知識や
価値観を押し付けてきたのかもしれないけど、
私はあなたの部下じゃないわ。

そんな事を、毎日、毎日、私にぶつけられて、
もう、私はうんざり」
 
定年退職後、家に居る時間が長くなってから
半年以上経つが、洋子がこんなにはっきりと、
自分の気持ちを口に出すことはなかった。
 
その言葉は、私の心に突き刺さった。
突き刺さり過ぎ何も言えなかった。

今思えば、その時すぐ謝ればよかったのだが、
自分のプライドの問題だったという訳でなく、
本当に言葉が出なかっただけだった。


 
40年前、大学を卒業し広告代理店に入社した。
時代の後押しもあり、それなりの成果を出し
50歳を過ぎてからは部長職を任されていた。
 
妻の洋子とは、28歳で結婚した。
当時取引先で受付をしてたのが洋子だった。
 結婚してすぐに子供にも恵まれた。

長男の聡は3年前結婚して子供もいる。
仕事の関係で、今は名古屋に居る。

長女の直子も4年前就職をし昨年結婚した。
今は福岡にいる。
 
子供2人を育てあげ、今、我が家に居るのは、
私と洋子の2人だけだ。
そんな私が、1年前に定年となった。

私に限らず、我々の年代は皆そうだと思うが、
退職後、仕事に追われていた生活が終わると
のんびりと自分の好きな事をやろうぐらいに、
漠然と思っていた。
 
ただ、いざそういった生活になってみれば、
3日もすれば飽きてしまった。

そして「自分のやりたい事」と思っても、
仕事以外に特に趣味と呼べるものはなかった。

その結果、家で本を読んだり
テレビを見る時間ばかり長くなっていた。
そして必然的に妻と話す時間が長くなった。


そして半年ぐらい前、ある事をきっかけに、
会話が続かなくなった。

そんな洋子の本心を改めて、この日、
痛感することになった。
 
ふと気づくと、信号が青に変わっていた。
会話を交わすこともなく、信号を渡り始める。
周りは誰一人、私達を気に掛けることはない。

夜空に浮かぶ半月が、2人を見ているだけだ。
 
(第21話 終わり)次回は7/6(土)投稿予定

★過去の投稿は、こちらのリンクから↓
https://note.com/cofc/n/n50223731fda0

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?