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進捗報告 / ゲームコンテスト敢闘賞受賞、何をゲーム化したかったのか深堀する



Plicyゲームコンテスト2023で敢闘賞を頂きました。

自分のゲーム1作目、Galaxy Bar Shige-Chang が表題コンテストで敢闘賞を頂きました!

主人公をはじめとしてキャラグラフィックにウディタデフォルトのものが多いとか、色々拙いところも目立つ本作ですが、審査コメントで自分の狙いをきちんと拾っていただいていて良かったという気持ちと、自分のゲームデザインが間違っていなかったんだという喜びに包まれております。
そして自分としては、このゲームで
「キャラの人間性を表現するの楽しい!自分にはキャラを描きたいという欲求がこんなにあったんだ!」
という事に気がついた思い入れのあるゲームなので、そのゲームを評価して頂けたというのは、今のゲーム作りにも自信が持てました。
サックと遊べるボリュームですので、お暇な時にでもぜひプレイしてやって下さいませ。

アナログゲームに学ぶべきもの

前回も書きましたが、ここのところのアナログゲームの勉強で多くのことを学びつつありますが、勘違いしていたところもあって、何かBaMaDiSをボードゲーム寄りにすれば、ゲーム展開という名のストーリーが自動生成されると思い込んでいた気がします。
もしかしたらそうなのかもしれないけれど、少なくとも今作りたいのはいわゆるシミュレーションゲーム、ボードゲームではないので、こっちに行かなくて良いかなと。
なので、今アナログゲームから取り入れるのは、取り敢えず下の2つにしようかな、と。

パラメータの取る値の範囲が狭くても面白いゲームは作れる

大量のデータを素早く扱うのはコンピュータの得意分野なので、最初からそれを投げ捨てる必要はないのだけれど、逆にコンピュータゲームだからといって大きな数や大量の数を扱わなくても面白いものは出来る、というのがまず1番学ぶべきところだと思っています。
例えばプレイヤーにレベルをもたせるとして、その範囲を1から100にしなければならない訳ではなくて、上限10レベルでも十分面白く出来るであろう、という事です。

シンプルなルールでも様々な展開のあるゲームは作れる

これはアナログ、デジタル問わずの真理ではありますが、シンプルで面白いものを作るのは難しいので、言うは易く行うは難しの話です。
ですので、これもピックアップすべきは逆の、複雑にしたからといってゲームが面白くなるとは限らない、ということでしょうか。
特に個人でゲームを制作するのはデータ制作作業量がかなりの負担になるので、全部の要素に多くのデータを注ぎ込むのは不可能です。そのゲームの肝になる要素に、作業量を全集中させるぐらいの気持ちで行くべきでしょう。

人間のシミュレーションをしたいと言うけれど

前回の考察の続き。
人間のシミュレーションでリアクションを重視したい、と書いたけどVTuberの8番出口のゲーム実況を色々見させてもらって、むしろ今やれるのはノベルゲームとして人の手でリアクションを書いていくことじゃないかと思い至りました。

そもそものダイススレの面白さは2つの要素があった

自分が今回のゲームでやりたかった事はダイススレの面白さを取り入れたゲームを作る事でした。
ダイススレのスレ立てしたGMのプレイが上手いから面白い、というのはあるのですが、そうしたスレを読み返してみると面白い要素はこういったものでした。

  1. GMの出す選択肢(GMのライティング力)が既に面白い。

  2. その選択肢でのキャラの選択(ダイスの目)が面白い。

  3. ここぞというところでのキャラの成功/失敗(ダイスの目)がドラマチック。

  4. キャラの選択や成功/失敗の理由の見立てが面白い、腑に落ちる(観客の力)。

  5. キャラの行動(ダイスの目の結果)で展開していくストーリーが面白い(GMのライティング力)。

つまり人のストーリーテーリングの力とダイスの力があるということで、自分は分かっているつもりでもゴッチャにしていたなあ、と思い至りました。

キャラに判断させなくても良い?

こうして見返すとキャラとダイスに委ねられてるダイススレの面白さは、当初自分が思っていたより少ない感じです。(上のリストの2、3)
近々まで、キャラにAI的なものを持たせて選択を行わせようとしてたんですが、そこで頑張らなくても良くて、ジャンル毎の選択肢で成功/失敗の度合い毎にそのキャラらしいリアクションを作っておいてあげればキャラは表現できるのではないかと。TRPG的にキャラの能力が表現されてて個性を感じたり、ゲームプレイでのダイスの女神の気分が見え隠れしてキャラが翻弄されているのもキャラの個性としてプレイヤーが解釈してくれそうな気がします。
あと、ウィキシステムがもう完成しているのでキャラの行動の背景などはウィキに書いておけばよいかしらと。(リストの4)

判断/選択肢を自動生成させるのは自分にはまだ早い

もう1つ思ったのは、面白い選択肢の生成は自分の能力/経験ではまだ無理なんじゃないか、という事です(リストの1)。
これまた近々まで自分がそのゲームを楽しむために、選択を迫られる場面を自動生成してストーリーを作っていこうと思い、そのために(オリジナルでなくても)面白いボードゲームを作って、それをキャラたちにプレイさせたら面白い展開=ストーリーが出来ると思っていたのです。
でも待てよと。
ボードゲームの展開の面白さは、当初自分が求めていた面白さなのか、と。更には面白くなる駆け引きができるほどの賢いAIを作れるつもりでいるのかと。
ここは自分にとっては現時点では荷が重すぎると思われます。ボードゲームの経験値もプログラミングの経験値も低すぎる。
という事はイベントの選択肢は自分の手で作るしかないだろう、ということになります。

イベントにこそデータとゲーム性を集約する

選択肢群/結果群を予めイベントに用意する。

そうしてもう一度ゲームシステムを見直すと、イベント単体についてはボードゲーム的というよりはオーソドックスなノベルゲームに近くなるような気がします。
前はゲーム世界を構成するデータのパラメーターの状況をキャラが見てそれぞれの個性に合わせて行動を起こす、というものを目指そうとしていましたが、もっとあらかじめ特定のイベントを作者が作って、キャラの能力/キャラや状況に合わせてあらかじめ用意された選択肢のなかからその時用の選択肢が選出され、あとはキャラ補正をしつつダイスで選択を決める、というものになります。
これは近々で考えていたAI的なものよりは、初期に見地を得て採用しようとしていた、ウォーゲームのCRTの考え方に立ち返っています。

しかし、それでも最後の最後には、人間が逃げ散ってしまう、あるいは組織的に撤退している敵方に突っ込んでいくバカが死ぬ、ということは起こるのです。バカが突っ込む理由はわからないが、とにかく人間がバカであることは一定濃度で統計的な分布が見て取れる以上、ひとつの表にまとめられる。
 その思想が結実したものが、例の戦闘結果表だったし、現代のウォーゲームのゲームシステムの根幹でもあるんです。

「戦争は、時間と空間のジレンマである」現代ウォーゲームが発見した“真実”——ゲームはいかに戦争の「本質」を捉えてきたか【徳岡正肇氏インタビュー】

なんか回り道をした気がしますが、CRTを適用するのはNPCではなくイベントに対してなのだ、ということにようやく思い至ったって事です。
まあ参照しているウォーゲームだって、兵士一人一人の行動にCRTを適用しているのではなくて、全体の結果について適用しているんだから、当然の帰結だったのかもです。

世界とキャラとイベントの関係

また、もう1つ大きく変わるであろう事は、これまではストーリーを産むのが世界、キャラのパラメーターの変化とその相互作用、その相互作用の結果を計算するきっかけがイベント、という構造だったのが、ストーリーを産むのはイベントの連なりになる訳で、世界とキャラのあり方もその様相を変えます。
まず世界はその状況を表すパラメーターの集まりに姿を変えます。パラメーター同士は相互作用を持たなくなり、パラメーターの数値は個々のイベントの選択肢表や結果表の行か列を選ぶのみになるでしょう。
また、パラメーターはプレイヤーが世界の状況を知るための表示データも兼ねることになるでしょう。
次にキャラクターですが、まず世界と同じようにキャラクターの状態を表すパラメータを持ち、イベントによってパラメーターが変化するとリアクションを返す、というキャラ機能と、ダイスの目に補正を加えてCRTの結果に干渉する、という機能を持つことになります。
キャラの個性は上記の2つと、そのキャラ固有のイベントを用意することで描写されることになるでしょう。

イベントのネットワークへ

ここまで書いてて、人が読んで何書いてあるのか分かるのかな、という懸念が渾々と湧いているんですが、もう少しだけ抽象的なことを書きます。
これまでの考え方の重点をかなり変更して
「イベントを中心にゲームを組み立てていく事が当初の目的に合っている」
と、半年ぐらい考えていた割には当たり前の結論に至りそうな訳ですが、ただストーリーをイベントの連なりで表現するとして、自分が作りたかったのは、究極的には作者にも予想のつかない展開をして欲しいストーリーゲームなので、ここはもう1つ考えどころではあるのです。

一般的なノベルゲームのイベントの連なり

ここでオーソドックなノベルゲームのイベントの在りようを考えてみたいのですが、イベントというよりエピソードとした方が通りが良さそうなので、一旦ここではエピソードと呼びます。
選択肢の無いビジュアルノベルやオーソドックスなノベルゲームではエピソードが一直線、またはツリー状につながっていて、その繋がりは数学的な言い方だと有向グラフになっています。

もちろんランダムイベントがあるものもありますし、フラグにによって複雑に分岐するものもありますが、基本的にはエピソードの連なり方はあらかじめ決まっていて変化しない(ツリー状で他の枝に移れない、というプレイヤーの状況が変化するものはある)訳です。

ライフシミュまたはときメモ/パワポケ的なイベントの連なり

次に考えてみるのがライフシミュ的なエピソードの連なりです。
ただ、ライフシミュとノベルゲームは全く異なる訳ではなくて、同じ部分も多いので厳密な議論ではありませんのでご容赦を。
さて、ライフシミュに特徴的なエピソードの連なり方は以下の点ではないでしょうか。
1)エピソードによっては任意に繰り返す事が出来る
2)ゲーム内時間経過によってエピソードの連なりが形を変える
1はコマンドタイプのアドベンチャーゲームなどでもあることです。更に「繰り返せる」という事でノベル的なエピソードというよりゲーム的なイベントと呼んだ方がしっくりきそうです。
2もノベルゲームにもある要素ではありますが、エピソードの連なりが姿を変えるのはプレイヤーの行動が原因ではないというところが大きな特徴であると自分は感じています。
自分の希望するエピソードの連なりへ移動するために厳密なスケジュールを管理しなくてはならないところが、ノベルゲームよりゲーム性が強くなるところでもありますね。

それでBaMaDiSではどうなるのか?

だいぶ長くなってしまって、論旨も追いにくくなってきましたが、じゃあ自分はどうするのかというと、多分ライフシミュに時系列では無いイベントの連なりを変化させるネットワークを付け加える、という事を目指すと思います。
これは自分のアナログゲームの勉強の際に、割合早い時期に出会ったTwilight Struggleというゲームの影響です。

今日はもう書き過ぎた感もありますので、ここまでにしますが、そろそろコーディングやら具体的な設定やらに即してでないと検討できないところまで漕ぎ着けた感はあります。たぶんBaMaDiSは形にはなるでしょう。

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