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熱狂のその先

熱狂的なファンについて考えた時、自分にも思い当たる節があったなあと思った。
僕には若い頃ものすごく熱狂的にファンになった歌手がいた。
本来歌手なのだからその楽曲が好きということが多いと思う。しかし僕の場合その歌手の生き方にものすごく憧れた。その人は「自分のやりたいことはやる、そのことを批判しバッシングするマスコミには記者会見を開いて反論する、逆境も逆手にとって世間があっと驚くことをどんどん発表する」というスタイルだった。ちょうど大人になりかけの年代、この先の人生どう生きればいいのかと思い悩むことも多かった年頃。ものすごく刺激的だった。少しずつ影響をうけ自分でも「yes noをハッキリ言う」「自分の道は自分で決める」「自分の意見をちゃんと言える」ことを意識していた。こうしたことは良い事なんじゃないかと思うがいかんせん意識して言っている事だから今で言うコピペみたいなもの。自分であって自分じゃない。いくら真似したところでその人にはなれない。そのことに次第に気が付き始め今度はちゃんと「自分はこう思うからこうしたい」とか「自分だったらこう思う」とか思うようになった。自分になるのは人真似をする以上に難しいのだ。
やっぱり好きな人や憧れている人の影響はどうしても受けるもの。そこを自分の一部として自分なりに消化して行くしかないのかなあと思う。
どうしてこんなこと思ったかというとSNSなどの投稿を見ていると「一生ついていきます!」とか「〜さんのcmの商品、応援したいから買い占めます」とか「〜を応援してくれるあなたは神だ!同志だ!」とか目に付くことが多いから。そんなポストを見ながら自分もそうだった時期があったなと。でもそれってちょっと怖いことでもあったなあと思ったから。何事にも線引きって必要だなと思った次第。そして何事も「人は人、自分は自分でしかない」と思った。

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