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劣等感から感じた学ぶべきこと

劣等感とは誰しもが多少なりとも持っている感情だと思うが、私自身もかなり劣等感の塊である。そんな私が最近感じたのは貧富の差だ。

あの家庭は安心した毎日を送っている。あっちは仲が良くてうらやましい。

コロナ禍ということもあってか、隣の芝生は青く見える。だが、心までは貧しくなる必要はないと私は思った。

劣等感と卑屈というのは似通ったところがあるが、自分を貶める行為の卑屈に対して、劣等感というのは他人と自分を比較したときに起きるギャップの違いだなと思う。価値観が変われば人によっては「そんなこともあるよね」で済むことが、自身の重要度で「私にはない」に変わってしまう。

エピソード
「家庭環境に恵まれなかった。親戚は両親のことを毛嫌いしていたためか、子供の私にも否定的であった」

この出来事に対して、子供ながらになぜ?と傷ついた記憶と、大人になってからわかるその理不尽さに劣等感を感じている。あまつさえ自分は本当に出来損ないだと錯覚するレベルだ。これが私の劣等感である。

だがしかし、私はもう一人の大人で成人した一人の人間である。
今の私が頭ごなしに否定されたりしようものなら、一言二言は反撃できる程度には育ったはずだ。そこでふと気づいたのは幼少期の劣等感を現在の私が引きずっていることだ。

過去の私が感じた劣等感それは事実だろう。未消化試合だったであろうもやもやした感情を大人になってもまだ昇華できないでいる。これはとてももったいないと感じた。

劣等感の昇華
・過去の自分を受け入れる
・現在を見つめなおす


まずは過去に傷ついた自身のケアをしてみた。
「親は関係ないのに否定された。理不尽だ」「あの時はとても傷ついた」「泣いてもまた怒られるだけだった。悲しかった」etc
残っている感情をノートに書き出し、素直に自分の感情を形容した。

そして、今はどうなのか書き出してみる。
「人間関係に恵まれていて、毎日楽しい」「いやなことをいやと言える環境だ。周りに感謝している」「悩みを相談できる相手がいる。とても良い関係だ」etc
ああ、私は今恵まれているんだなとしみじみ実感することができた。

過去の自身の思いを癒してあげることは容易ではないが、過去に引きずられることによって、現在の良いことを犠牲にするのはもったいない。だから過去の劣等感は持ち出さないほうがいいと学ぶことができた。

少しずつ自身の気持ちと折り合いをつけて日々を楽しく生きて生きたい。

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