#5 富士登山とM-1グランプリとコーチ達|合宿あれこれ
↓前回のお話のつづき。
↓COEDASについてはこちら。
合宿1日目のことをまだ書ききれてないのに、既に2つの記事で6,000文字。
それもそのはず、
効率よく、キレのある言葉をシュンシュン繰り出そうとするのを辞めたから。
非効率で、無駄だらけで、ドロドロしてるのが人間らしくて好きだから。
読んで価値があるかなんてわからない。
だけど、私が感じたことに嘘をつかず、「そのまんま」貼り付けることを、このnoteでやりたい。(COEDASがダメって言ったら方針転換しまっす🫡)
ということで、人間らしいコーチ達との合宿2日目も
きっと書ききれないだろうから
一気にダイジェストでいっちゃって!
から一変して、円覚寺へ。
「静」
どうあるか(being)
朝陽と共に目覚め、思い思い時間を過ごし、ゆっくり食事を楽しみ、無言で墨を磨りながら、ゆったり過ごした2日目。
「動」
何をするか(doing)
思い返せば、ランチを食べて、マリンスポーツして、プレゼンして、海辺でBBQしてからの、朝方までしゃべりたおした1日目。
これは計画されたものか、偶然の産物かわからんが、上手いことこの両方を味わえた。
そして、私たちが学んだ「コーアクティブ・コーチング®︎」の言葉そのものにも、この2つの意味合いが込められている。
つまり、両方大事ってこと。
「まさにコーアクティブな合宿だったね」
って誰かが言ってたけど、ほんとその通り。
そういば、私が結婚を決めた時もそうだったな・・・って、円覚寺のお庭を眺めながら思い出していた。
論理的で合理主義、努力家でドンピシャな言葉をシュンシュン繰り出す人。
これが夫と出会って間もない頃の印象。
いや、でもさ、人間それだけじゃないはずだ!と、直感的に「もう一つ」を探していた。
ある時、思い立って富士山に行くことにした。
過酷な条件下ならきっと、「もう一つ」が出てくるんじゃないかって。
そして当日。
「も、もう無理・・・」
先に音を上げたのは私だった。
こんなに辛いなんて聞いてない!
そもそも富士登山初挑戦で、上級コースを選んだのが間違いだったか。
半ベソの私に、持っていた杖(スキーのストック)を貸してくれて、荷物を持ってくれたのは夫だった。
「大丈夫、ほら、6合目の灯りが見えるよ。」
書きながら思うのは、この時からマイコーチは彼だったんじゃないかってこと。
私に寄り添ってくれるbeingに、励まされ、勇気づけられ、気づけば13年経っていた。
「静も動も」「beingもdoingも」どっちも持ち合わせているから人間らしいんだと思う。
一見、矛盾しているように見えるけど、それが同居しているからこそ美しく、魅力的なのだと思う。
COEDASのコーチ達と過ごした2日間で、それぞれの人間らしさを垣間見た。矛盾したアンバランスさを必死に保ちながら、それでも一生懸命に生きている人たちばかりだった。
陽気な格好と明晰な頭脳を持ち合わせた人
口を開けば武道の話しか出てこない子煩悩な人
波瀾万丈な人生をサラリと語り飄々と生きているようで哀愁漂う人
愛知から車で駆けつけ全力で皆んなを送り迎えしてくれた元コワモテ野球人
2日間寝不足なのに最後まで笑顔で共にいてくれた人
「やりたい!」けど「うまく行かない!」だから「みんなでやろう!」を全身で表現する人
あー、もう書ききれないくらい魅力に溢れていた。
この人たちは、誰1人として自分の人生を諦めてなかった。
そこにはエネルギーが渦巻いていて、1ミリでも人生をワクワクする方向に進めようとするけどうまくいったりいかなかったりする人たちだった。
そういえば、2021年のM-1グランプリで優勝したお笑いコンビ「錦鯉」を観た時に、なぜか涙したのはきっとコレだ。50歳になるまでお笑いを続けて優勝しちゃう、その一生懸命さが心を打つんだよな。お笑い詳しくないけど。
コーチングでもお笑いでも、どっちもいい。
効率的でも非効率でも、どっちでもいい。
うまくいってもいかなくても、どっちでもいい。
自分にとって心震えることを、がむしゃらに、正直に、右往左往しながら進むこと。
それを自らやってのける人間らしい人たちがコーチなんだ。そう確信した2日間だった。
つづく。
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