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#3 モヤモヤが楽園になるまで|合宿あれこれ

↓前回の記事の続き。

コーチングをぺろりと舐めたくらいで大号泣した私は、何かに取り憑かれたように次のコースをポチっていた。

そして、学びが深まると同時になんかこう、

モヤモヤッ

ってやつが胸の辺りから離れずにいた。

その正体はコーチングの基礎となるコレ。

”人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在だ”

最初はサッパリ意味不明で眉ツバだったけど、これをお互い信じて関わることに心地よさを覚えると、ここは楽園か?と思えてくる。

そして、

この感覚はココ(コーチングスクール)でしか味わえないのでは?

という疑問、いやもはや絶望とも呼べる感覚に襲われる。

昔、上司からこんなことを言われた。

「見ていて危なっかしぃ。もっとしっかり予定を立ててから行動してください。」
「その無邪気な質問が、全体の輪を乱すんだよ。」

ビジネスの世界は戦争である。弱みは可能な限り補い、組織として統率が取れて一糸乱れぬ動きをしなければならない。(と思っていた)

それなのに、いきなり好奇心で行動しちゃう人(わたし)とか、
思いつきで質問しちゃう人(わたし)とか、

扱いづらい代表みたいなものであり

こう言われて然るべきだと思う。

思い返しても残念でならない。

そんな現場で働いていた私には、自分自身が「欠けるところのない存在」として扱われ、思いつくままに、内側から溢れてきた言葉を口にして、好奇心の赴くままに行動することを許されるなんて。

まるで楽園。

そして、この楽園はココだけ。

そう思うとモヤモヤっとしてくるのだ。

果たして本当にそうなのか?



2022年5月27日

夕方になるにつれて、

そわそわ・・・

わくわく・・・

むずむず・・・

気づくと口元が「ニヤッ」ってなる自分がいた。ちょっと気持ち悪いレベル。

すべては、翌日からのコエダス合宿のせいだ。

楽しみ過ぎて、まさか熱は出ないよね、と思いつつも本気で心配した。

子供じゃあるまいし。

それもまた一興ではあるが、今回だけはやめてほしいと本気で思った。

だって、合宿に参加予定の16人は、ほとんどがお初お目にかかる人たちだからだ。

そして迎えた当日。

逗子駅に降り立ったわたしは、Google Mapの案内がありながら、予想通り迷った。

「ん〜たぶんこっち!!」

地元民でもないのに、勝手な仮説を立てたくなるのが悪い癖だ。

住宅街をウロウロしていたら、運動会のアナウンスが聞こえてきた。

「紅組がんばれ〜白組がんばれ〜♪」

癒されるぅぅ。

迷ってよかったな、とすら思ったのは、必死に柵の外から応援する親御さんたちの横顔が見られたからかもしれない。

子供が頑張る姿もステキだけど、それを応援する人たちが居てこそ頑張れるとおもうと、どうしても無視できない。

次第に潮の匂いが強くなってきて、きっともうすぐなんだろうな(Google Mapみればわかるけど)と思いながら、体感温度35度の灼熱の道を歩きつつ、日傘を忘れたことを後悔したけどもう遅い。

やばい、どっちだ?と思った瞬間、電信柱が語りかけてくれた。

地元の方ありがとう

わかりやすっ!!!

迷ったからこその、この出会いが嬉しくて口元で「ニヤッ」としながら右折した。

そして現れたのは、THE逗子な景色。

ヨット多すぎん?

今日のランチはここ。

前日、この近所に住む友人に連絡したら「お〜カンティーナ行くのね!!」とテンション上げ気味のLINEが来たので、地元では有名なところなんだろうな、と期待感満載だった。

そして迎えたご対面。

代表のじゅんさんを初めて見た時、Youtuberに会えたような感覚で、オオデを振って喜んだ。

「おおおーーー!!!じゅんさーーーん!!!」

私だけテンション高いな、と思ったら、どうやらお初の対面は私だけだったようだ。

この後は、みんなとの会話が楽しくて、写真を撮ることを半分わすれていた。

モニターの中だけだった相手が、手を伸ばせば触れる距離にいる。

初めましての方々も、コーチングという共通言語で既に繋がっている。

その感覚を全身で味わっていた。

その後はスケジュール盛りだくさん。

こんな楽しげな人としゃべったり、

SUPっていうアクティビティをしたり(私は酔うのでやらんかったけど)、


海が見える、こんな一軒家を貸し切って


語り合ったり、

疲れてる人は寝たり、

マッサージしたり、

まじめな話をしたり、

対面だからってことで写真撮りまくったり、

まだ慣れてないCOEDASポーズしてみたり、

夜更けまで海辺でBBQしたり、

焚き火しながら午前3時まで語り合ったりした。

あああぁぁぁーーー!!!

なんだろう、この居心地の良さ。

疲れたら寝る人も
まじめに想いを語る人も
BBQしながら武道の話をする人も

みんなそれぞれ、「へぇ、そうなんだね。」って受けとめ合っている。

そう、

まるで楽園。

それもそのはず、全員当たり前のように、お互いを「欠けるところのない存在だ」と信じきっている人たちだからだ。

うわっ、これかもしれない。

内側からなんとも言えない「答え」のような感覚を感じた。

例えるなら、家のソファーで溶けたアイスみたくだらだらした状態と、ピアノの発表会前でガチガチに緊張した状態の、ちょうど真ん中のような感覚になった。

意味不明だ。

人間は、目に見えるもの以上の何かに気づいた時、言葉にすることに限界を感じるんだということを、いま書きながらモーレツに痛感している。



で。冒頭の「楽園はここ(コーチングスクールの中)だけなのか?」という問いについて。

それは、私たちが創ればいいんだということ。

今まで自分以外の誰かが作ってくれることを、心のどこかで望んでいた。

「ママって呼ばないで、自分でお洋服脱いでくれ〜頼む〜」と子供に言っている私が、どんだけ他人任せだったのかという話だ。

だけどこの合宿でわかった。

誰かが創るのを待つのではなく、いま、私たちが創ればいい。

そして、すでにココにあるんだということを。
モヤモヤがいま、やっと楽園になった感覚だ。

つづく。

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