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時代は繰り返す?

この前ドライブ中に聞いていたラジオから、こんな言葉が聞こえてきた。「これからはシェアが大事です。みんなが気が付いていないことに、お風呂があると思うんですよね。集合住宅の各家庭にひとつずつお風呂があるのって無駄じゃないですか。」と。。

私は「え?」と思った。「無駄?」それって時代に逆行するってことじゃないの?なにそれ?なにそれ?って。

実は私が子供の頃、都会ではお風呂が一家にひとつない時代だったのだ。若者なんかは銭湯に通っていたのだよ。そんな中、私が生まれたことをきっかけに奮発してお風呂を作ったとのこと。寒い冬にお風呂であたたまったのにまた寒い中家に帰らなくてはならなかったそんなつらさがなくなったと、母は喜びに満ち溢れて語っていたっけ。

勿論、集合住宅の外ではなく中にひとつというお話だったかもしれないけれど、その場合は、お風呂の順番はどうするのだろう。でっかいお風呂があるならいいけれど、洗い場のシャワーの数が世帯数分ないとしたら、順番のゆずりあいというとても面倒な気づかれする事態となるのだよ。部活の合宿で先輩が先に入るとかなんとかいう面倒な慣習を思い出してなにかブルーな気分になるのだよ。

それなのに、それなのに、さもすごいことを思いついたといわんばかりの口調に、まじで反論したくなった。相手はラジオだから、反論できないのが残念この上なかった。

最近思うのだが。昭和の解雇主義なんかもよく聞くのだが、なんか、それ、違くね?って思うのだよ。確かに若者は昔を知らないから仕方ないのだが、実は今の世の中って昔良くなかったかったことを改善した結果なんだけどなあ。

例えば、引っ越し。昔は引っ越し業者が今のようにメジャーじゃなくて知り合いに頼んで引っ越ししていたので、例えばお礼だなんだと、本当に密なコミュニケーションがあり、今の若い人の中にはそれこそが昭和のだいご味みたいに思われる方もいらっしゃるかもしれないが、その裏には、人間関係密にしておかないと、粗相のないようにしておかないと、引っ越しすらちゃんとできないというリスクのある世の中なのだよ。知らないだろうが。

まあ、なんでも、どちらがいいというのではなくて、中庸がいいんだろうなあとは思うのだけれど、ちょっと書かずにはいられなかったので書いてしまいました。ちなみに、ラジオの語り手の方への悪意は当然ございませんので、ご容赦願いたく、お願いします。

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