まる

ことばのつむぎ。意味も大事だけど、意味なんかなくても良い。

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ことばのつむぎ。意味も大事だけど、意味なんかなくても良い。

最近の記事

自分サイズ

これまでいくつものセミナーを受けてきた。 ジプシーとまではいかないが、自分に足りない何かを埋めるように探すようにその時その時の自分が求めるものを学んできた。 スイッチが入ると猛勉強する。 そして自分にいくつもの課題を与え、やった気になる。 学んだとて習得とまではなかなか至らない。 それでもチリ積もでいつか何かのヒントくらいにはなると思っている。 いや、思えるようになった。 結局、何かをしている自分が気持ち良かったのだろうと思う。 手数を増やして安心感にしていた

    • 努力は私を裏切る

      別に名言的なことを言いたいわけじゃないんだけど。 よく聞く言葉に納得感のあるものと違和感のあるものがある。 いってみればそれはもう個人の感性なので賛成も否定でもないし正解もない。 だからこれは私の感性の話である。 努力って報われない時もある。 努力している時点で欲しい結果が目標であり結果だ。 それは達成できないこと多々ある。 それでも何かしらを得られたから良かったというのは達成しなかった自分への慰めのような気がする。 努力は欲しい結果に辿り着かない時もある。

      • 満身創痍

        46歳、事業に失敗し現在無職。 頑張りすぎた代償はかさむ医療費。 心身不調に危機感を抱き、心療内科、婦人科、整骨院、耳鼻科、皮膚科。 この3ヶ月で受診した病院だ。 整骨院以外では薬も処方されている。 副作用で中断したものもある。 診断されたのはメニエール病と掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)。 症状で言うと、難聴やめまいと手足に水疱のような小さい発疹ができては潰れて皮が剥けるのを繰り返す。 掌蹠膿疱症というのは難治性皮膚疾患で完治はしないと言われた。 女

        • しなければいけないことなんてなかった

          ここ最近の日課は瞑想とヨガ。 呼吸が好き。 どちらも動画を見ながら続けているのだけど、続けることで気づくことも多くなってきている。 私には、今の私にはとても合っているのだと思う。 併せて受けているコーチングも先生との相性がとても良い。 未だ無職でなんなら身体の調子もまだ万全ではない。 気持ちがどん底に落ちていてもおかしくない状況ではある。 確かに少し前まではそういう心持ちだった。 今は緩やかに右肩上がりなのが自覚できている。 半年前の私には想像もできなっかっ

        自分サイズ

          自分自身を苦しめるもの

          私を苦しめているものは私自身がいつの間にか自分の中に作り上げた理想像だった。という話。 何が楽しいのか 何が心地良いのか 何が欲しいのか それがパッと頭に浮かばない状態。 大丈夫な気がするのに大丈夫じゃない心持ち。 何かこう霧が晴れない感じ。 ゆっくり休んでるつもりなのにずっと気が休まらない。 身体のあちこちに日替わりでちょっとした不調が現れる。 カルマか、負のループか、、、 毎朝の瞑想を欠かさないようにした。 自分と向き合うと言ってもそれくらいしか思いつか

          自分自身を苦しめるもの

          40過ぎて感じる友達のありがたさ

          この歳になってくると弱音を吐いたりダメな自分を晒すことはなかなかにハードルが高い。 SNSにキラキラ良い感じの投稿なら良い気分なのにね。 晒せないよね。 いくらありのままの・・・とは言っても、心底ではそんな自分を受け入れられてなかったりする。 話を盛ってみたところで心と身体が乖離していくだけ。 カッコ悪い自分を晒せる友達、いますか? ここ最近、絶妙にカッコ悪い私。 でも、私にはそれを晒せる友達がいます。 その友達はカッコ悪い私を見ても起きた物事でジャッジしない

          40過ぎて感じる友達のありがたさ

          リスタートライン

          頭の中がごちゃごちゃしていたり 気持ちの整理ができなかったり 踏み出す一歩がなかなか出なかったり 何もできる気がしなかったり そんな時を人生で何度も経験してきた まただ 道を見失い 自分を見失い 何をどう感じているのかさえわからず 不安で不安定で動けなくなってしまう またか 浮き沈みを繰り返していつも同じ穴に落ちてしまう 嫌気がさす まだだ 落ちて終わりではない 必ず立ち上がり歩き出せる だから今ここにいる 苦しくて何も見えなくても これを脱することができるというこ

          リスタートライン

          誰ひとりとして同じではない

          同じものはない。 見えている範囲も 色も 聞こえている音量も 音そのものも 香りも 感じ取れる匂いも 温度も 湿度も 風も 質感も 味も 心動かされるものも 広さも 高さも 深さも そういうものが大前提としてひとりひとり違う。 だから絶対もない。 決めつけはよくない。 理解できなくても同じではないと思えていればそれでいい。 ひとりひとり違うからこそオンリーワンで存在しているだけで尊い。 生まれたての赤ちゃんがそうであるように幾つになってもそうなんだ。 できるで

          誰ひとりとして同じではない

          初めての今日という日

          便利になって良いこともそりゃたくさんある。 だけどその傍らで情報の多さによる弊害もある。 知らなければ気にしなくて良いことも知れば気になる。 気になる程度ならいいがそこから悩みとなる場合も多い。 多いことが良いこととは限らない。 情報、選択肢、お金、交友関係とかとか。 私は優柔不断なのでメニューの多い店ではなかなか注文を決められない。 ラーメンしかなければ迷うこともない。 食べたい物があって入った店でもメニューを見て結局迷う。 自分にとって本当に必要な分だけ

          初めての今日という日

          わたしのこと。

          40代も後半になりました。 人生でも大きな出来事になる、結婚、出産、育児、離婚、親の介護すべてコンプリート。 20回以上転職を繰り返し、パートも会社員もフリーランスも自営業も無職もすべてコンプリート。 最近は老眼と更年期に足を踏み入れたところだ。 あと、ピロリ菌も陽性をいただいた。 七転八倒どころじゃない経験。 何度転ぼうとも立ち上がって今がある。 悩み苦しみもがき憔悴しようとも、頭に浮かぶことばは止まらない。 なのでここにつらつらと書いてみようと思う。 そ

          わたしのこと。