心の豊かさをつくる義理人情の話
こんにちは!かけだし社長の小寺です。
商売において、利益追求、合理性を求める、というのは自然な流れです。
ただ、個人的には、それ以上に「義理人情」を大事にしたいと思っています。
ちなみに「義理」と「人情」はそれぞれ意味合いが違います。
義理とは、社会においての通例、人として大事なこと、社会の中でこれが当たり前だよねと、共通意識であるものです。
人情とは、人に対する思いやりや情けを指します。
簡単に言うと、誰かが亡くなった時に、
葬式に行くのが義理、
悲しくて涙を流すのが人情です。
ただ、「義理人情」と「合理性」は、なかなか相容れない関係にあります。
義理人情って、短期的にみたら合理的でないという考えを持つ人もいるかもしれません。
葬式に行ったから、その人のために涙を流したからといって、別に自分にとって1円の得にもならないじゃないですか?といったら、正論ではあります。
世間的にはめちゃくちゃ叩かれると思いますが、、笑
確かに究極の合理性を求めたら義理人情って不要なものなのかもしれません。
ただそれを言えるのは、あくまで「経済的な観点」しか見ていないからだと思います。
僕は豊かさには、
「経済的な豊かさ」
とは別に
「心の豊かさ」
があると思います。
たまに自己都合主義の方を見かけます。
「私の人生なんで私が決めます」といって、それまで周りから世話になったことや、恩がまるで無かったかのように、自己都合で我が道を行く人がいます。
別に利益にならないなら切り離すのも英断、自分で決めていいですよね?と言わんばかりの物言いですが、それも否定することはできません。
それはその人にとって利益追求をした結果なのだと思います。
ただ、目に見えるチャンスや富を得たとしても、周りからの信頼は失うと思います。
口では言わなくても、「ああ、この人はいざとなったら自己都合で周りを切り捨てる人なんだ」と腹の底では思われます。
そんな人に、誰がついて行くでしょうか。
ついてきたとして、利用しようと近づいてくる人で溢れる気がします。
それも選択の1つですし、その人の人生なので、口出しできることではありません。
ただ、個人的には、利益にならなかったとしても、世話になったら義理は通したいし、恩を感じたらその人の力になりたい!という想いは大事にしていきたいです。
理由は、僕の心が嬉しいからです。
これも、ある意味、自己都合主義なのかもしれません。
結局は、豊かさの尺度の違いなのかもしれません。
商売は利益追求をすること、それは正しいと思います。
ただ、何が「利益」なのかは、人によって尺度が違います。
売上、金銭的利益を追求する人もいれば、
周りの幸せのため、人が喜ぶ顔が見たい!というのがその人にとっての利益になることもあります。
個人的には、「商売は人に喜ばれてなんぼ、その対価が事業の収益になる」と思ってます。
人のために尽くして1円にもならないことを続けていたら、それ何か意味あります?と短期的には言われるかもしれません。
ただ、長い目で見た時に、まいた種は大きな複利をともなって返ってくると思ってます。
自分は今、どんな種をまいているのか?
その種は将来どんな花を咲かせるのか?
情けは人の為ならず、ではないですが、
周りに応援され愛される振る舞いを大事にしていきたいです。
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