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誰もが自分のことしか考えてない前提で、善意は全て自分向けの営業トークである真実から逃げない。

仕事もプライベートも同じことで、生存本能的に正常な状況です。でも忘れがち?

人が社会の中にいると、なんとなくルールやマナーが一部教養として組み込まれてたりするので、正義感やみんなの為とした動きが、いかにも人間らしいように映ります。

特に仕事に関わるお客様や協力者など様々な立ち位置でそれぞれの人の為に動く結果は自分の為で、それ以外にないですね。

信用というものに縛られて、言ってること違うとか、認識が異なるとか、裏切られたとか、相互に感情不幸な事態も生まれるわけですが、これもまた幻想で、そもそも自分の中に原因はあります。

相手が自分のことしか考えてない前提で善意を受け取る(社会的享受も含む)構造を目の前にしても逃げない感覚は持ち合わせたいな。とか考えます。


あ、例外的?とするなら一親等の関係性は自己犠牲の念があるかもしれないですね。

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