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黒いジャンパー

革ジャン。

このワードから連想する言葉はやっぱり"反逆"”不良””バイク””ロック”といったところだろうか。

私が初めて革ジャンに袖を通したのは10代後半の頃に当時やってたバンドのドラマーのトミーさんに「おう!サイコビリーのライブ行くぞ!これやるから着てけよ!」と私には少しばかり小さいSchottのシングルを気前よくくれたのが始まりだ。

きっとナメられないように気を使ってくれたのだと思ったが音楽の演奏を見に行くのになぜ革ジャンが必要なのかその時は不思議に感じたがその疑問はすぐ解消されることとなる。
ライブが始まり間奏やギターソロになるとパンチ合戦ってのがあり、フロアのお客さん同士でお互いをパンチし合うしきたりがあったのだ。

人からパンチされるのなんて17歳の頃に働いてた違法風俗店で酔客と喧嘩した時以来だな、嫌だなぁと思っていたわたしも当然パンチされたが革ジャンは元々バイク用の防寒防護服。成人男性のおふざけパンチ程度は全然痛くないのである。なるほど、剣道をやる時には防具をつけるようなものかと納得し、周りの革ジャン野郎と笑顔で拳を交えたことと、その日がとても楽しかった事をまだ覚えている。

その後わたしはキャッチーな食生活がたたりアメリカンXLわがままボディへ進化して着れなくなったのでトミーさんに頂いた革ジャンはサイズの合う友人にあげてしまった。

サラリーマンの制服が背広だとしたらロックンローラーの制服はやはり革ジャンだろう。
ロックとパンクに人生変えられ、オートバイも嗜むわたしが革ジャンを着るのはライオンがシマウマを食べるように当然の事なのだが、それからわたしが再び革ジャンに手を出すまでにはそれから長い年月がかかった。

それはなぜか?

革ジャン=カッコいい
わたし=カッコよくない
との認識が拭えなかったからだ。

わたしのようなダサ坊が革ジャン様を着るだなんて1000万年早い!そんな事をしたら神聖な革ジャン様を汚してしまう!畏れ多くて着れない!

かつて自己肯定感がマリアナ海溝よりも低かったわたしはマジでそう思っていた。

要は覚悟が完了していなかった、そうゆう事なんだ。

そこで一昨年、革ジャン様にふさわしいボディになってから着ようと思い減量を図り見事15kg絞った。その時点ですぐに革ジャンを手に入れれば防げたかもしれないが、周りの人に痩せたねーと言われてるうちに「そうか、自分は痩せたのか。じゃあもう好きなもの食べても平気だな」と、やってるうちにブクブクと丸くなり1年後には再び丸々とした愛らしい体型に戻ってしまった。ブヒー、焼かないで。

完璧な自分になってから着るのでは遅すぎたし、そんなものはいつまでたってもなれっこない。

不完全なまま毎日少しずつ歳を重ねて生きて行くしかない事に気付いたわたしは本当にこのまま革ジャンを着ない人生で良いのか?と自らのソウルに問いかけたところ「もうこの際先に革ジャン買ってボディをそこにねじ込んで体を合わせていけば良くね?」との結論に達した。

腹の出た中年の着る革ジャンを見苦しいと思う人も多いかもしれないがそれは他者の価値観の問題であってナンノブマイビジネス、夜に影を探すようなもの。着たい服は堂々と着れば良いし、世界中から馬鹿にされても私は私を肯定する。そのガッツを持って革ジャンを着るたびにそんなロックな気持ちを再確認すれば革ジャン様も許してくれるはずだ。そうだろブラザー?

黒いジャンパー 裏地は赤のチェックDA

そんなわけで先日39歳の誕生日を迎えた記念にSchottの626って革ジャンを買いました。やったぜ父さん。これから毎晩着て寝るよ。

ちなみにフィット感はカムバック後のプレスリーのようにパツパツです。もう太れない!

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