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第0回 本堂大屋根改修委員会

 2021年の夏、本堂の屋根に派手な雨漏りが発覚し、絶望した。外陣の天井絵に日毎広がる雨染み。畳に落ちる雨粒を拾うバケツ。カエルの絶唱。南無阿弥陀仏。なかったことにしたい。

 当山、明行寺のご本堂は、1700年代前半の江戸時代に建てられたものと思しき痕跡がちらほら。しかし大屋根は、三十数年前に銅板に葺き替えられ、60年は保つ、と聞いていた。とにかく、現状を把握せねばならない。とはいえ、何につけても資料がない(なぜかな)。同じく30年ほど前の、本堂横にある門徒会館の建設資料を住職が発見し、それを元に寺社仏閣専門の設計事務所に調査を依頼するところから、この一大事業は始まった。

 寺社建築の事業者は、少ない。一説によると、宮大工と呼ばれる職人は全国に100人程度しかおらず、絶滅危惧種と言われているそうだ。九州の山の中、何ということもない一般の末寺。調査、見積りを依頼できる事業者を見つけるだけでも一苦労。その上、調査結果の説明を聞いても、チンプンカンプンとはまさにこのこと、自分で調べることの限界が、生涯最速で訪れた事項だったかもしれない。

 その後、1年弱の間の出来事をご門徒方に周知すべく、2022年の春に配布した資料がこちら。

2022年度のはじめに配布した資料

 分かったことは、部分補修が不可能で、屋根の銅板は全取っ替えになることと、その費用総額はおよそ5,000万円であることの二つ。ふたたび絶望した。長年、多くのご門徒方が切望していたトイレの改修、500万円の予算が門徒会でどうにか承認されたばかり。それだって、具体的なアクションを始めてから3〜4何年はかかっている。トイレの神様、もう諦めていいですか(ああ、ここはお寺だった)。

 先代住職のご往生により、代替わりは早かった。自坊に戻って2年、住職は当時33歳。親よりも年上のご門徒方とともにお寺を切り盛りのにとにかく日々必死でギリギリな感じだった。決して裕福なお寺ではない。建物に手をいれるような、まとまったお金が必要になる案件の役員会議では、会社員時代に培ったビジネススキルを駆使してアジェンダを整理し、前提を可視化し、課題を定義し、選択肢を準備し、取るべき対策とその根拠を示して会議に臨んだ。結果、その場はまるでお通夜のごとし。住職と二人、我ながら、陰に日向にとても頑張っていた。しかし、何だかうまくいかない。空気が重たい。風穴が開かない。いっそう頑張って頭を捻れば捻るほど、何か噛み合わない。そんな調子で一年が過ぎた頃、前門徒会長のTさんが、こんな言葉をかけてくれたことがあった。

「みんな、知恵袋やけん。よう頼ったらよか」

 無意識のうちに、ご門徒方と差し向かいの気持ちでいたことに気づかされた言葉だった。そうではない。一緒に、同じ方向を向いていかなくてはいけないのだ。そういう意味では、この、何をどうするか決めていくプロセスそのものが重要で、結果としての「立派な屋根」は目的ではない。昔ながらのお寺という非営利組織において、時間がかかることは悪ではないのだ。「お寺が存在するため」に、お寺を運営することに比べれば。

 もちろん、そうはいっても簡単ではない。僧侶の理論からいえば、末寺といえど組織としての「共通目標」は南無阿弥陀仏その一点においてほかにない。しかし、ご門徒方はといえばどうだろう。後世に、子や孫に「お寺」に象徴される「何か」を引き継いでいきたい。自分たちが、ご先祖方からそうしてもらったように。そんな感覚ではなかろうか。この「何か」は、実際お寺参りを続けてみることでしか、知覚できない。それがなんとなく分かっているから、みんな「頭は痛いけどなんとかせにゃいかん」と投げ出さずにいてくれるのだろう。

 2023年度の始まり、役員と地域の代表者である講中方の顔合わせを兼ねた説明会で、この件のその後について資料に追記し、配布した。

2023年度のはじめに配布した資料

 すでにご門徒方の間でも、本堂の屋根にどうやら大金がかかるらしい、ということは噂になっている。いくらかかるのか、どうやって集めるのか、そもそも集めるのか。問いを始めるべく「第1回 本堂大屋根改修委員会」の開催日程と、各地域の委員を選出して出席することなどを決めて、説明会は終わった。

 現状、無策。果たして本堂大屋根は、無事に改修されるのか。明行寺は存続するのか、はたまた、朽ちるままに寺仕舞いとなるのか。続報が待たれる。我ながら。

精進します……! 合掌。礼拝。ライフ・ゴーズ・オン。