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後生の輪郭

 とあるご門徒さんから、百箇日のご法縁を授かった。

 施主は、ご往生されたNさんの妻であり、婦人会アドバイザー(婦人会役員を卒業後も手厚くご助力くださる方々にお願いしている当山オリジナルの役職)であり、現役のみかん農家であり、いつもあたたかくさり気なく心をかけてくださる80代半ばのTさん。
 出席予定であった次女さんが体調を崩されたそうで、御斎の席に空きができたから坊守さんも一緒にどうか、と前日に電話があり、よろこんで承ることにした。
 
 午前10時過ぎ、住職とともに車に乗りこみ、ご自宅へ。玄関の奥から「はーい」と聞こえて、扉を開けてくれたのは、家族のムードメーカである三女さん。背が高く、Tさんに似ている。
 色とりどりのお花で埋め尽くされたお仏壇に礼拝していると、黒いレースのブラウスに黒いパンツというご法事スタイルの首からタオルをさげたTさんが、暑そうに現れた。京都で坊守式を受けたことをご報告し、その際のお土産や、しばらく前に頼まれていた、ご友人夫婦の念珠を編みなおしたものなどをお渡ししたりしていると、襖が開いて、お盆にお茶とお菓子を乗せたTさんの義娘さんが姿を見せた。昨年、53歳でご往生されたTさんの長男さんの妻であり、通算11年役員を務めてくださった前門徒会長の娘さんでもある。そうこうしている内に、柳川市で漬物屋を営むTさんの長女さんが扇風機をセッティングし、ご法事が始まった。

 正信偈をあげながらお焼香をし、しばらく経って「弥陀成仏のこのかたは…… 」と和讃に差し掛かった頃、仏壇の横に立つ、一面にたくさんの家族の写真が貼られた大判のコルクボードが、なんとなく気になった。1年ほど前、Nさんと一緒にコーヒーを飲んでいたとき、グラウンドゴルフで入賞して名前が載った新聞を見せてくれたことや、半年前、最後にお会いした際に玄関先で見送ってくださった姿など、意図せず思い起こされているうちに、あの方は今、どこにいるのだろうか、どうしているのだろうか、と思うともなく思われはじめた。ちょうど和讃は三首目にさしかかっていて、


 解脱の光輪きはもなし

光触かぶるものはみな

有無をはなるとのべたまふ

平等覚に帰命せよ


と声にするうちに「ああ、そうか」と。「有無」をはなれていらっしゃるのだから「ここにいるのだ」。常に、どこにでもいるのであり、だからここにもご一緒くださる。そんな調子で、四首目に入り、


光雲無碍如虚空

一切の有碍にさはりなし

光沢かぶらぬものぞなき

難思議を帰命せよ


と続けながら「ああ、そうだった、そうだった」と、こっそり息をついた。「あの方はどこに」と今なお探さずにいられないこの無知無明すら、何の妨げにもなりはしない。知ろうと知るまいとに関わらず、すべては円満にととのって、


究竟せること虚空にして

広大にして辺際なし


であった。境目はない。今ここに、不可思議にもつながっている。

 お勤めが終わり、ご法話をお聴聞した後、御斎に出発するまで少し間があった。あれこれお喋りする中で、仏壇の横で咲き誇る立派なカサブランカにふれると、出席できなかった次女さんが育てた花を、三女さんにお供えとして託したものとのことだった。

 ここにもまた、境目なく届く姿を知らされて、両手のあわさる、わたしのためのご縁でした。

精進します……! 合掌。礼拝。ライフ・ゴーズ・オン。