ff16終盤を迎える前に

ff16も、終盤に差し掛かっている

ストーリーを振り返って、物語の印象なんかを書き留めておこうと思う

まず、主人公であるクライヴ。序盤は目を背けたくなるほどの展開に見舞われ、当然、希死念慮も強く陰湿な雰囲気を纏っている主人公で、見ていて不安になった。

クライヴに救いはあるのか?

プレイヤーである私は不安でしょうがなかった。(今も)

だが、なにもつらい現実に立ち向かっているのは主人公だけではない。青年期主人公を勇気付け生きる目的を与えるシドも自分の体を酷使し死場所を探しているかのように振舞い、幼馴染でヒロインのジルも自分は人ではないという喪失感や、時間が解決しない罪の意識に囚われている。
弟のジョシュアは主人公の生きる希望である一方で、兄を守るためなら自分の命を擲つ。

16の登場人物、特にドミナントたちは、運命に翻弄されている。

これは敵の立場で見えるベネディクタ、フーゴ、ディオン、バルナバスもそうだ。
ベネディクタはバルナバスへの忠義を誓っていたが、力を奪われ失意の中物語から退場。フーゴは愛するベネディグタを亡くし冷静さを欠きエーテルにより力が暴走、ディオンは不本意で父を殺害し発狂。いずれも大切な人との絆が切れることで自我を失い発狂してしまっている。
バルナバスは私が進めているところでは、アルテマが化けた裸の母親の足元に縋り付くマザコンという認識しかないが、そもそもアルテマと手を組んでおり、怪しい言葉を鵜呑みにするほど精神がやつれてしまっているので良い最後は迎えないだろう。

自分たちの手で世界の不条理に抗い、運命を切り拓いているつもりだろうが、どうも何者か(おそらくアルテマ)の意思に纏わりつかれているような、進めても進めても好転の兆しがないのがこのゲームが"人生らしい"ところとも言えそうだ

マザークリスタルを壊すと人々は生きる場所を失い、地上にはエーテル溜まりができ、モンスターが凶暴化している
ドラクエなら魔王を倒してハッピーエンドというわかりやすい目標があるけど、マザークリスタルを壊し、ラスボスを倒しても、世界は平穏さを取り戻すのだろうか?

クライヴたちが信じているのは、自分たちが建てた仮説だ
そして、世界が混乱に陥る様を見ても自分たちが始めた物語を疑っていない
邪魔をするものたちを倒すのも、自分たちの因果というとても個人的なところが理由で、それは、人が人らしく生きる世界を目指すという志とは特に関係はないのだ

クライヴは、亡きシドと自分を信じ戦ってくれる同志のために戦う
世界のために戦う英雄ではなく、世界を混沌に叩き落とす大罪人

私がこの世界の住民ならクライヴには肩入れできなかったはずだ

だけど、どんな理も混沌から生まれる
というのが、ギリシャ神話での通説だ

クライヴが人間然として、聖人でないのもそこに明確な意思や絆が表現されていていてff16らしさなのかもしれない

クライヴがベアラーも等しく人として生きれる場所を作り、弟とジルとトルガルと幼少期に失った時間を取り戻すような幸せが訪れてほしいと願います

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