臨死体験①

伝統宗教との比較

シャーマニズムとの関連

人類学者ナンディスワラ・テーロは、アボリジニ文化の「ドリームタイム(夢時間)」という概念が、臨死体験に類似していると指摘している。それは人の精神が死後に赴く場所であり、時間も空間もなく、そこを訪れた者は無限の知識に触れることが出来るという[69]。

ドイツの民族心理学者ホルガー・カルヴァイトによれば、アボリジニのみならず、世界中のシャーマンの文化の殆どすべてに、広大な超次元領域の描写があるという。そこには、人生の回想、教え導く役割を果たす教師的存在、想念によって現れる物質、美しい光景、などについての言及があり、そうした領域に旅する能力が、シャーマンになるための必要条件である。シベリアのヤクート人、南米のグアジロ・インディオ、ズールー人、ケニアのキクユ族、韓国のムーダン(巫俗)、インドネシアのメタワイ島に住む人々、カリブー・エスキモーなどの文化には、生命を脅かす病に倒れ、死後の世界を訪れたのちに、シャーマンになったという人々の言い伝えが残っているとされる[69]。

大乗仏教との関連

中国浄土教の僧善導は、死にゆく者がヴィジョンを見たらその様子を書き取るように、と他の僧に指示していた。こうした指示は少なくとも日本の鎌倉時代までは、仏教の1つの手本だった。実際にこうした時代の臨死体験の記述の多くは、浄土思想の資料の一部として保存されている[35]。

平安末期の浄土宗僧侶である源信の『往生要集』には、臨終の際に眩しく輝く光の仏阿弥陀如来を心に念じれば、阿弥陀如来が死にゆく者を迎えに来る、と記されている。『無量寿経』や『阿弥陀経』には、空間的に無限であり、限りない光に照らされ、個人の想念が叶う世界として浄土が描かれている。カール・ベッカーは臨死体験で出現するトンネルは、浄土の「蓮の茎」に相当するのではないかと述べている[35][17]。

チベット仏教との関連

チベット仏教における『チベットの死者の書』では、人が死から再生までの間に留まる霊的な次元が描かれている。「バルド・トドゥル」(中有・中陰)と呼ばれるその世界では、死者はまず目も眩む程の光明に出会い、それに勇気をもって飛び込めば解脱するとされる。バルド・トドゥルでは自分自身の意識の投影が、様々な神の姿を取って現れるという
電磁気仮説

ケネス・リング等の調査では、臨死体験者の約25%が「体験後に腕時計が止まってしまうようになった」「電子機器を誤作動させるようになった」と報告している。その事から臨死体験が人の生体を取り巻く電磁気力に変化を及ぼしたと推測できる。電磁気を用いて、人のアルコール依存や鬱状態を治癒させる療法も存在するため、臨死体験で起こされた人体の電磁気の変化が、一種の電気ショック療法として働き、人格の長期的な変容を起こしたのではないかとする解釈がある[11]。

量子脳理論

アリゾナ大学のスチュワート・ハメロフの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じている。量子から成る人の意識は、普段は脳細胞にある微小管に詰まっているが、心停止によりこれが壊れる事で意識が宇宙に拡散し、患者が蘇生した場合には再び脳の中に戻る。こうしたプロセスが臨死体験ではないかとハメロフはコメントしてい

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