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それは儀式のようなものだった。

かつてどハマリした音楽を聴かなくなるのは自然なことで、リスナーが成長した証でもあるから決して悪いことではない。正直なところ、そういう音楽というかバンドが私にはたくさんあるし、ミッシェル・ガン・エレファントもそうだった。彼らが解散した2003年にリリースされた「SABRINA HEAVEN」と「SABRINA NO HEAVEN」はリアルタイムでは聴かずじまいだったし、同年10月に幕張メッセ開催された解散ライブ、LAST HEAVEN当日は仕事だった。ぶっちゃけてしまえば解散ライブというものに行きたいとは思えず、「(ミッシェルの)最後だから観たい」という気分にはなれなかった。

ところが、昨年チバの訃報が届いた日から毎日のようにミッシェルばかり聴いていて(こんなの学生以来)だんだん出口のない迷路の中でひとり彷徨ってるような気分になってしまうのだった。

さて、そんな私がThe Birthdayのワンマンライブを初めて観たのは、"シャム猫の絶叫" TOUR 2016の豊洲PIT公演。その前に一度あるイベントで観てはいるけど、体調が良くなかった同伴者が先に外に出てしまい、私も付き添う形で彼らのライブ中に会場を後にしたので、ライブの記憶がほどんどない。それが2010年の出来事で、あれから6年の間にさほどThe Birthdayに関心がなかった私の気持ちに少しずつ変化が起きた。きっかけは、the HIATUSでウエノコウジがベースを弾いている姿を久しぶりに観たこと。そしてエイタスをきっかけに知り合った年下の友人がウエノ推しでミッシェルを好きだと言うので、自ら聴くことなんてほぼゼロに等しかったミッシェルを久しぶりに「聴いてみようかな?」という気分になった。そうだな、これがきっかけでもあり、始まりでもあったと思う。


実際にThe Birthdayのステージに立つチバの姿を目の前にし、あの歌声を聴いたら、長年忘れていた想いが溢れてしまい、ライブのほとんどの時間を私は泣いて過ごした。ドラムがキュウちゃん(クハラカズユキ)だったこともあって、なんでチバの隣にギターのアベフトシとウエノがいないのだ?!と戸惑ったけど、冷静に「そっかアベはいないんだ」と何年も前から知っている事実を痛感せざるを得なくなった。そして、ライブがどんどん進むにつれて、バンドが変わろうが、音楽性に違いがあろうが、チバはチバであることに気づいていく。ミッシェルで受けた衝撃から20年近く経っても、私の中にあるチバという存在が変わってなかった。ライブ本編はフロアの後ろで静かに観ていたけど、アンコール直前、思わずステージの近くへと駆け出してしまったことが忘れられない。少しでも近くでThe Birthdayを感じたかった。チバの近くに行きたかった。

かつて大好きだったバンドのメンバーが新たに始めたバンドのライブを観ること。それは、ファンにとっては儀式のようなものだ。

というファーストライブを経てからは、The Birthdayのライブには年に1度のペースで観ることができれば良かった。ワンマンに行けなくても、例えばアラバキロックフェスでThe Birthdayを、チバがゲスト出演した企画ライブも観た。「音楽と人」のインタビューは読んだし、YouTubeに上がってる動画では相変わらずの天然ぶりにゲラゲラ笑った。それにSNSにたくさん流れてくるから、いろんなチバが。それで充分だった、私にとって。

…とは言え、後悔していることもある。覚えているのは、先述したワンマンに行く前年、ちょうどThe Birthday がバンド結成10周年を迎えた2015年の9月に日本武道館でライブをやると知ったとき、ふと「行ってみようかな?」って気になってたのに行かなかった。やめた理由は忘れてしまったけど、あの武道館公演はやはり行っておけば良かった。そう考えるとコロナ禍に開催されたホールツアーにも行けばよかったとも思うし、さらに遡って、もっとミッシェルのライブに…解散ライブにだって行っておけば良かったのだ。上司に懇願すれば休みをもらうこともできた。あの日、当時働いていたテナントで「赤毛のケリー」が流れていたことを覚えている。興味がわかないとか言いつつ、どこか気になっていた日でもあった。

だから、せめて同じ後悔をしないようにと、今年に入ってからは「観たい」と思ったライブにはできる限り出かけるようにしている。ミッシェルを聴いて人生がひっくり返ってしまったような出会いがこの先あるかどうかはわからないけれど、私には必要だから。


「ミッシェル以外のチバユウスケは受け止められないし、認めることができない」。20代の私は頑なだった。でも、今となっては年齢や生きる時代と共に歌いたいことが変化していくのは音楽家として人間としての成長・成熟の証なんだと理解している。リスナーだって聴きたいものに変化が起こるのだから、ミュージシャンだって同じ。だから彼のその過程を今から私は追いかけていく。この迷路に出口はない。つまり、私がチバユウスケに飽きることはない。それでいい。

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