76.終診
退院して3か月後、奥さんの最後の診察の日がやってきました。
奥さんの術後の経過は順調で、身体的にはもう何も問題はなかった。
でもココの死因は、結局わからずじまいでした。
病理解剖では大きな異常は見つからず、考えられるのは陣痛中にココの身体のどこかがへその緒を押さえつけてしまい、血流が途絶してしまったか、あるいはSIDS(乳幼児突然死症候群)のようなものか…。いずれにせよ、今となっては何も断定できないとのことでした。
そっか、せっかく解剖までしたのにな。
それでも、ちゃんと調べなければもっと後悔していたんだろうし。
きっと、何も間違ってなかった。そう思いたい。
あぁ、それにしても。
これで終わりなんだな。
もうココのことで新しい情報が入ってくることはない。
医療的に医学的に、もう何もできることはないし、する必要もない。
今日でもう、ココのことは終わってしまうんだな。
先生は最後に申し訳なさそうに「力及ばずで…」とおっしゃいました。
それでもボクたちは先生のことも、病院のことも、他の誰のことも責めるつもりはありませんでした。
ココのことは、平日の昼間の、しかも病院の陣痛室で起こったことでした。
あの時、点滴を準備していた看護師さんはすぐにココの異変に気づいてくれた。
すぐにたくさんの応援スタッフも先生たちも駆け付けてくれた(麻酔科の先生なんかは息を切らしながら全力疾走してきてくれたほどだ)。
異変が起こってから奥さんが手術室に運ばれて行くまでの時間は、わずか15分足らずだった。
執刀したのはベテランの主治医の先生だったし、すでに心拍の止まっていたココの蘇生を試みてくれたのは新生児専門医の先生だったと聞く。
もしこれが病院以外で起こったことなら?
もしこれが夜間休日に起こったことなら?
もしあの時、手術室が空いていなかったら?
もし若い、慣れない医者しかいなかったら?
もっと早くに病院に行っていれば
もっとスタッフがいる時間に起こっていれば
もっと大きな病院にかかっていれば
もっといい医者が担当してくれていれば
そんな後悔がずっと残ってしまったかもしれない。
もちろん、それでも助けられなかったのか、と思う人もいるだろう。
でも、それでも助けられなかったんだ。
たぶんボクたちは、あの時考えうる最高の医療サービスを受けて…それでもだめだったんだ。
だからきっと誰も悪くない。誰も責めたりしたくない。
むしろ精一杯やってくれたこと、後悔を残さない仕事をしてくれたことに感謝したい。
だからボクたちは先生や、お世話になった看護師さんに丁寧にお礼を言って病院を去りました。
医療的には今日で、おわり。
でもボクたちにとっては何も終わっていない。
これからもずっと、ボクたちはココと一緒だ。
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