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#注文を受ける嬉しさ

2021/1/14から2/7まで「緊急がま口量産宣言」を自ら発出しました。このまま #がま口マラソン のスパートかけようと心に決め、FBで宣言したら、ありがたいことに早速がま口の注文が!!

がま口作りを生業としていないにもかかわらず、気に入ってくださって「使ってるよ!今度はこんなの作って!」とリピート注文してくださるのは嬉しいことです。

本業で公共施設マネジメントに関わっていますが、自らがま口を作り続けながら、改めて「使う人のために作る」とは何かを考えるようになりました。

昨年春の緊急事態宣言発令をきっかけに、ステイホーム下での過ごし方として、手芸を選択し、ただ作ることだけを目的にガンガン量産していました。プラモデルにハマるのとおんなじ感覚かもしれません。作り上げるプロセスがとても楽しいのです。

作りあげた完成品にはあんまり執着はなくて、直ぐに次は何作ろうかなという気持ちが湧き上がります。

ここで問題なのが、作ることばかりで「使い手の意思が不在である」ということです。

作ることができればそれで満足という気持ちでいるのですが、割と材料費がかかるので、そんなに作り続けてはいられません。

創作意欲を継続させるためには、材料費代ぐらいは賄えた方が幸せかもなということで、不揃いな素人作品でも欲しいと言ってくださるありがたい方から、完成品と引き換えに、材料費と少しの手間賃を頂くことにしました。

そうして、ただ作りたい欲を満たすためだけで始めたがま口作りが、いつのまにか少しずつ注文を頂くようになりました。

自分が作りたいだけて作ったものを好んで買ってくださるだけでもとてもありがたいことです。

それ以上に「こんなものが欲しい!」と注文を受けることはとても嬉しいことだなと実感しました。ただの素人である私が作る不揃いながま口でも、それを認めて注文してくれるのだと考えるととても感慨深いです。

注文を受けるということで、作りたいものを作るのではなく、使いたい人の存在が現れます。

使いたい、使う人のために作るという、考えてみればとてもシンプルなことですが、作る側の気合いの入れ方が変わってきます。

公共施設も同じで、補助金がつくから、先進自治体が作ったからと「作る」ことが先行し、本当に「使う人のために」公共施設を作るのかがぼんやりしています。

使う人のために作る


2回目の緊急事態宣言を前向きに捉え、作りたい欲を満たすだけのがま口作りから、注文してくれた方の使い方をイメージしながら作ることについてチャレンジしてみます。


日々の些細なことを記録し留めるためにnoteを活用しています。