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#ふるまう心境

グラレコは単なるツールのひとつでしかなくて、とにかくデザインにこだわったり、アーティスティックな表現したり、グラフィカルにキラキラさせるお飾りとして、場の賑やかしに使われるのはなんか違うなあと感じています。

1年半近く修行してても全くキラキラなグラレコは書けないし、かといってグラフィックレコーダーの画力に引っ張られて、登壇者が何を言いたかったのかっていう肝心なところが霞んじゃうようでは全く意味がない。

グラレコは単なる即時記録のツールなので、参加者の記憶の定着の助けになればそれでいいと思ってます。

私は修行の一環として、自ら参加したあらゆるセミナーの実況中継グラレコメモを勝手にシェアし続けてますが、これって「ふるまう」ことと同じ感覚なんかもしれんなと最近思うようになりました。

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「ふるまう」ことにはそもそも対価が発生しない。「ふるまうことが趣味なんです!」って言えばそれでよくて。

私は、こうして取り組んできたグラレコメモのシェアを通じて「ふるまう」楽しさの一端を感じられるようになってきたような気がします。

三省堂 大辞林 第三版
ふる ま・う -まふ [3] 【振(る)舞う】
①行動をする。動作をする。 「主人のように-・う」 「努めて明るく-・う」
②人に飲食物を提供する。もてなす。また、おごる。 「酒を-・う」
③思うままにのびのびと行動する。 「人よりは心安く、馴れ馴れしく-・ひたり/源氏 帚木」
④特に趣向をこらす。 「枝を肩にかけて、中門より-・ひて参る/徒然 66」

私の「ふるまう」は、②と③が混じった感じ。思うままにのびのびともてなすって感じでしょうか。

グラレコメモの即時シェアは「ふるまい」で「ふるまう」ことが私の趣味なんやという理解でこれからも勝手にふるまいたいと思います。

日々の些細なことを記録し留めるためにnoteを活用しています。