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#熱意と行動量

日頃から自らの思考をうまく言葉で説明する能力が欠けており、他者に説明することへの苦手意識も相まって、説明すること自体を棚に上げ、色々すっ飛ばした言動と行動で日々周りを混乱させています。

"何を考えているのかわからんが、熱意だけは伝わる"

熱量がまおばさんが日々繰り広げる、破れ被れで飛躍しすぎの行動に対して、ようわからんけどなんとなく熱意を感じとって頂けているのか、一定の関心を寄せてくださる優しい方がちらほらと現れてきました。 

自身の言葉でうまく説明できないから行動で示そうという感じで、ある意味開き直って動いていることに、少しでも反応してくださる方がいるのはありがたいです。

以前も「おもいでヒトは動く」をキーワードに、記事をいくつか集めて記録していました。

ベーシックインカムという言葉がでてきて、お金のために働かずにすむようになってくると、人が仕事をする理由は「自分がやりたいかどうか」が全てになります。

「自分がやりたいかどうか」

シンプルだけど、真理をついています。自分がやりたいかどうかが全てで、やらないのに、口だけはだしたい、あわよくば他人にやってもらおうなんていうことはあり得ないのはわかっているくせに、どこか吹っ切れないところがあって、自分のやりたい気持ちを抑えてしまうことが多かった気がします。

どれだけ自信をもって事業を語れるか、どれだけ自分がやりたいと考えているか、どれだけのインパクトをもたらそうとしているか。こうした要素がかけ合わさって、人は目の前の人が事業に対してどれだけ本気かを判断する。

「どれだけ自分がやりたいと考えているか」

言葉でうまく説明できないんだったら、行動で示すしかないと覚悟を決め、色々ぐずぐず考えることをやめ、とにかくやりたいことを小さくてもやろうと思い切ることにしました。

自分がやりたいことをやってみる。


ここ最近、日々の仕事で消耗しすぎて、何のためにやるのか、自分が本当にやりたいことなのかということもわからなくなっていました。自分を見失うと心の中は不安感で一杯になってしまい、元々のパーソナリティも相まって、マイナス思考の悪循環に陥っていました。

自分がやりたいことを小さくとにかくやってみることで、心の中を占めていた不安感が少し払拭されたような気がします。

何をもって人は熱意を認識しているのでしょうか?
その一番の基準になっているのが行動量であり、平均的な行動量を明らかに超えた異常な行動量が確認できると、「この人には熱意がある」と人は認識するのだと思います。

熱意は思考量に転換され、思考量は行動量に反映される

自分がやりたいことをやること。
熱意は相対評価であること。
他者に伝えるためには思考し続け、行動量で示すこと。

そうすれば、どこかで反応を示してくれる人が現れるのかもしれません。

なんとなく吹っ切れた気がしている熱量がまおばさんは、今後も異常な行動量をもってやりたいことをやることにします。

日々の些細なことを記録し留めるためにnoteを活用しています。