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#「なりたい」のか「ありたい」のか、「なしたい」とは何か
「なりたい」と「ありたい」は一文字違いでその意味合いが変わるよなあと、真夜中に目が覚めたこともあり、頭の中がぐるぐるしてきたので、キーワード検索してみることにしました。
「なりたい」には理想の姿が今の自分の中に「ない」と思っていて、「ありたい」には理想の姿が今の自分の中に「ある」と思っている。
成程、自分の中に理想が「ある」か「ない」かで、大きく意味合いが変わるなあと思いました。
私の考えることは、突拍子もなく、しばしば理想が高すぎると言われます。
「どうせ無理、できるわけがない、変わらない…」
そんなこと、やってみんとわからんやろうと思うので、こういった類の言葉は、意識的に右から左に受け流すようにしています。
地道な努力を、相応の期間つづけなければ、叶わないのが普通です。
夢、理想は語るものではなく、叶えるもの。
高すぎる理想を掲げるからには、貫き通したい。
一方で、そう簡単に叶うものではないことも、これまでの経験上、痛いほど理解しているつもりです。
何事も、すぐに答えが出て解決するようなことはありえないのだから、焦っても仕方ない、今こそ「ネガティブ・ケイパビリティ」を発揮するのだと言い聞かせても、なかなか焦燥感が消え去ることはありません。
高い理想を掲げ、それを目指すからこそ、行動に移す訳で、そもそも行動しなければ、壁にもぶち当たらない。
壁にぶち当たった途端に諦めて取り下げるようなものは、はなから大した理想ではなかったのだと自らが宣言するようなものであり、とても恥ずべきことだと思っています。
「なりたい」には理想がない
高すぎる理想を掲げる自分で「ありたい」
自らが掲げる「ありたい」理想の姿と、今の現状のギャップをどう埋めるのか。
「ありたい」姿を目指すには、何を「なす」のかを明確にする作業がセットになります。
埋めるギャップが「なす」ことであれば、自分が何を「なしたい」のかではなく、こう「ありたい」から、これを「なしたい」という思考で物事を捉え直した方が良いのかなと、noteを書き進めるうちに気がつきました。
「ありたい」姿を目指すために「なす」ことは何か。そうすれば、何を「なしたい」のかに悩み続ける必要はない。もう少しシンプルに物事を捉えることができるかもしれません。
為せば成る、たしかにそのとおりだなあ。
今度は「なす」とは何かということで、また頭の中がぐるぐる回りだしたので、キーワード検索した結果をクリップして寝かせておくことにします。
「なす」には「仕上げる、つくる」という意味合いの「成す」だけでなく、「行う」という意味で「為す」(新聞ではひらがな)を用いるものなどもあります。「やればできる」という意味の慣用句「なせばなる」は、漢字で書くと「為せば成る」です。
日々の些細なことを記録し留めるためにnoteを活用しています。