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【創作大賞2024 恋愛小説部門応募作】 「空の恋人」第六話 七夕

第五話◇ あらすじ・第一話 ◇第七話


 「凪」が起きる寸前の世界について、積極的に語ろうとする者は少ない。生命倫理のタガは外れ、法による統治は腐敗し、AIなどの技術の発展は多くの人に「思考すること」や「想像すること・創造すること」といった活動を放棄させた。

 己の意志で思考したり、相手を慮ったりすることなど時代遅れとされたし、そんなことをすれば嘲笑の的となった。しかも、万が一間違いなどがあれば鬼の首を取ったように指摘されたし、その指摘にはしばしば誹謗中傷が付きまとった。 

 街を歩くほとんどの人が、同じ目をしていた。彼らの意識は、どろどろとした濁った価値観に支配されていた。インターネットには、そんな人々がこぞって書き込みをした。もちろん、匿名や偽名を使い、自身は安全な場所に身を潜ませた上で、である。

 ——生命の尊さだの、尊厳の重みだの、対話の大切さだの。そんなの、なんになるの? それでご飯が食えるわけ?

 ——多様性多様性って、いちいちうるさい。ノイローゼかよ。精神科でも受診したら?

 ——権利には義務が伴うんだよ。ケンリケンリ騒ぐ前に、少しは尻尾を振れよ。それができないなら、黙ってろ。

 ——まあ、こうやってろくに社会の役に立たない輩の声を潰すのも、立派な社会貢献だと思いまーすw

 ——そんなに権利だのなんだの喚くんなら、受け入れてあげても構いませんよ。ただ、どこまでを許容してあげるかは、多数決で定めます。多数派の意見というのは、常に正しいのですから。

 ——わかってる? 世間様からはみ出すほうが悪いの。偉い人の決めたことに従わないほうが悪いの。要領よく無難に立ち振る舞えないほうが悪いの。空気が読めない奴とか、ほんと無理、迷惑。そんな奴らは、どんな誹りを受けても、仕方なくない?
 
 ——お前、アタマ大丈夫? まさか「表現の自由」って知らないの? 社会の時間に教わっただろ、何を言っても自由だって。……もしかしてお前、教科書読んだことないの?w それとも、習ったこと覚えてられないとか?ww

 ——うわ、まじか。じゃあ、さっさと■ね。

 街を闊歩する「ほとんど」の枠からこぼれた人々は、苛烈な生きづらさに晒された。排除と侮辱に堪えかねて自ら命を断つことさえも、「自己責任」として片づけられた。

 人が自ら死を選択したところで、「ほとんど」の人たちにとってそれはただのイベントに過ぎなかった。いっとき追悼するような空気を作っておきながら、次に何か大きな出来事——大人気アイドルの電撃結婚だとか——があれば、それを跡形もなく霧散させた。

 醜い。

 そんな時代のことを、どうして遺された人たちが好意的に懐古できるだろう。

 それでも、「彼」は世界に慈しみのまなざしを向け続ける。すべてを愛することでしか、「彼女」の祈りを峻拒しゅんきょできないから。

 七夕当日を迎えた駅前ロータリーには、色とりどりの短冊や装飾の重みでゆさゆさとしなる笹が、行き交う人々の目を楽しませていた。

 一枚一枚に肉筆でしたためられた願い事のうち、果たしてどれくらいが成就するのだろう。朝香あさかはふと、そんなことを思った。

 数日前の「しえる」閉店後、「オーブ」のテーブルを囲んでみんなで願い事を書いた。夕実ゆみは「お菓子作りがうまくなりますように」。暁子あきこは「血圧を気にせず過ごせますように」。小夜さよは「毎月の収支が黒字になりますように」。楓子ふうこは「ぱるるるるんボムをだす!」(「ぱぴぺぽルッコラ」の必殺技)。蒼斗あおとは「来年もみんなが短冊に願い事を書けますように」。

 晴也せいやは短冊の隅に小さく、筆記体で「Ich will bei dir sein.」と書いた。それを受け取った朝香は「わー、なんか気取ってるなぁ」と反応したが、晴也は大真面目な様子だった。

「書けば、届くんだろ?」
「まぁ、そういう趣旨では、あるかな」

 みんなから預かった短冊を朝香が笹の枝に括りつけていると、隣に白いシャツを着て黒い長髪を腰あたりまで垂らした女性が並んだ。この人も短冊を飾りたいのかなと朝香が半歩動いて空間を譲ると、その女性は半歩寄ってこちらに微笑みかけてきた。

 朝香は軽く会釈を返したが、それを待ってましたとばかりに、女性が話しかけてきた。

「『七夕』は、衰退しませんでしたね」
「はい?」
「お正月に始まって、この国にはかつて、四季折々の行事が人々の生活に根付いていました。自然を感じ、自然と共に暮らすことが人間にとって何よりの幸せだと知っていたんでしょう」
「はあ」

 朝香の気のない返事にもめげず、女性は話し続ける。

「こうして、皆さんの願い事が誰からも否定されることなく、街の風景として馴染んでいるというのは、とても美しいことですよね」
「ああ、はい。そうかもしれませんね」
「それも、『真樹様しんじゅさま』のご加護です」

 その単語にぎょっとした朝香は、その女性のシャツの胸ポケット部分に「ロゴマーク」が刺繍されていることに気づいた。

 朝香は愛想笑いをどうにか保ちながら、大げさなムーブで腕時計を見て「あ、急がなきゃ」とわざとらしくつぶやき、女性と目を合わせないようにして早足でその場から離れた。

 ◆

 「しえる」に戻ると、夕実と小夜が真夏に向けた新作スイーツの試作中だった。蒼斗は庭の洗濯物を取り込んでいて、朝香に気がつくと「おかえりなさい」と声をかけた。

「みんなの短冊、ありがとうございました。暑かったでしょう。アイスのダージリン、冷蔵庫で冷えてますよ」
「あ、うん。ありがとうございます」

 蒼斗はおや、と首を傾げた。

「なにか、ありましたか?」
「あ、いえ、別になんでもないです」
「それなら、なによりです。汗をかいたと思うから、アイスティーと一緒に梅干しを食べるといいですよ」
「えっ、なんかへんてこな組み合わせ」

 そう言いつつ、一粒口に入れた梅干しは心身の疲労回復に効果てきめんだった。程よい塩気と梅本来の酸味と甘味は、アイスティーとの相性も良かった。

 朝香が「なかなかいける」と呟くと、蒼斗は洗濯物を畳みながら「でしょう」と微笑んだ。

「あれ、暁子さんと楓子ちゃん、それに晴也くんは?」

 ひといきついた朝香が蒼斗に尋ねた。

「図書館に行っています。晴也くんに、ちょっとした頼みごとをしました。それから、楓子ちゃんが予約していた本が届いたと、先日連絡があったので」
「そうですか」

 ◆

 楓子が小夜に頼んで取り寄せたのは、「おりひめ と ひこぼし が あまのがわ を こえてみた」というタイトルの児童書だった。

 七夕伝説をベースとした絵本なのだが、脱力感のある絵柄と予測困難で不条理な展開が、子どもたちの支持を集めているらしかった。

 待望の作品をゲットした楓子は、図書館のロビーでさっそくその本を読んだ。ところどころ読めない漢字があったので、暁子に教えてもらいながら、楓子はあっという間に読破してみせた。

「一年に一度しか逢えないなんて、織姫と彦星はかわいそう」
「つらいと思うわ。でも、恋しく想い続けられること自体は、幸せなんだと思うの」
「そっか。じゃあ、この二人は、まいほーむのさんじゅうごねんろーんをかかえたタイミングできんりが爆上がりしたとしても、しあわせなんだね」
「楓子ちゃんは優しいのね。そうよ、きっと幸せなのよ。ああ、『逢瀬』って言葉も、ロマンチックで素敵だわ」

 暁子と楓子の会話を聞いていた晴也は、冷めた表情を見せた。

「そもそも、星と人間とでは寿命が桁違いに違う。星の平均寿命からしたら、星の一年は人間の三秒に換算される。つまり、織姫と彦星は三秒に一度は顔を合わせていることになる。それのどこがロマンチックなんだ」
「もう、晴也くんは無粋が過ぎるわ。ロマンチックって、理屈じゃなくて感じるものでしょう」
「そうだよ、ろまんちっくだもん! あれ、でも『ろまんちっく』ってどういう意味?」

 暁子と楓子の声を無視して、晴也は蒼斗から頼まれた用事を済ませるため、資料室へ向かおうとした。

「もう、どこにいくのーっ?」
「野暮用」
「『やぼよう』ってどういう意味?」
「つまらい用事って意味」
「じゃあこっちの本のほうが面白いよ!」

 無邪気に「おりひめ と ひこぼし が あまのがわ を こえてみた」を勧めてくる楓子の頭を、暁子が優しくなでた。

 市民の関心が低いこともあって、資料室は地下階の奥まった扉の先にひっそりと存在した。

 電力節約として室内の照明のレベルがかなり落とされている。空気も淀んでおり、ほこりっぽさに古紙とインクの香りが混じった、独特のにおいが漂っていた。

 蒼斗から頼まれたのは、「シエル」の所在する街の歴史に関する資料を借りることだった。「歴史・伝記・地誌・紀行」の分類を、書架の手前を指でなぞりながら探していく。

 目当ての箇所の手前に、「数学・理学・医学」に関する書架があった。

 滑らせていた晴也の人差し指が、ぴたりと停止した。とある書籍の背表紙が視界に入ったからだ。

「【最新版】抗精神病薬の作用機序 基本から応用まで徹底解説『ランパトール編』 監修 白麗はくれい大学医学部精神薬理学研究室教授 月本恭右つきもときょうすけ】」

 視線を、その文言からどうしても離すことができなかった。堪らず背後の書架にもたれかかると、軋んで耳障りな音を立てた。

 鼓動がどんどん速くなっていく。ぼんやり灯る照明に手を伸ばそうとするが、それも叶わない。その緩慢な挙動に反比例して、晴也の認識する世界は鮮烈に分裂し、散逸し、解体していく。

 ほどなくして制御できなくなった「それ」は、晴也が懸命に秘匿し続けてきたものを、いとも簡単に惹起してしまった。

「たすけて」

 それは、あの日「きみ」が晴也に放ったのと、同じ言葉だった。

▽第七話へつづく

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