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誰も責めない

記念すべき1000noteめなので、初心に戻って現代詩を上げたい、と思っていたらへんに力んでしまって何も書けなくなってしまったので、日記というかエッセイというか、そういうのを書きます。自分の脳内構造のわかりやすさには改めて驚きさ。

今日、私はとある書留を待っていました。届く時間がわからなかったので、地元の郵便局に電話したら、「遅くても17時までにはお届けします」とのことでした。その時はまだ10時だったので、7時間待つのはしんどかったけど、今日から実家に帰る都合もあり、今日中に受け取りたかったので、ひたすら待ちました。追跡番号をウェブに入力したら、「持ち出し中」となっていたので、いつ来るかわからないから、ずっと気を張っていました。

今日の朝早く、夫は沖縄へ出張に行ってしまったのです。玄関までしか見送りができませんでしたが、久々の飛行機とあってか彼はウキウキと出かけていきました。

だから、家には私一人。いつ来るかわからない荷物を待つのって、結構疲れる。トイレに行っている時に配達の人が来たら困るから、水分も我慢して。昼食もカロリーメイトで済ませて。

待つ。
ひたすら、待つ。
ぼーっと生きておりました。

16時半過ぎ、そろそろかなーと思って追跡番号の画面を更新したら、「持ち出し中」が「保管」に変わっていました。あれ?

おかしいと思って、ふたたび郵便局に電話。すると、

「今日は部数が多いので、あなたの荷物は明日です」。

えええっ!?

「あのですね、普段の郵便はちゃんと届いてますか? 最近引っ越しされたとかではないですか?」

いやいやいや、もう6年以上住んでますけど!

「そういうことなら、再配達の電話をこの電話で承りますが」

な ん な ん だ! ?

電話口で私は思わずため息をついてしまいました。でも、午前中の対応のまずさを責めても、この電話の応対の横柄さを指摘しても、私の日曜日という時間が戻ってくるわけではないので、いろいろ飲み込んで、再配達の依頼をしました。

電話を切ったら急に虚しくなってきました。なんなんだろう。礼節としてせめて「すみません」の一言があってもいいと思うけどな。形だけでも、不作為を認めて詫びる文言は伝えようよ。

ものっそいむかつきながら、実家に向かうことになってしまいました。むかつくのって疲れるから好きじゃないんですが、こらえるのがつらくて、ため息を何度もついていました。

乗り換えの駅でぼーっとしていた時のこと。夫からLINEが届きました。そこには、驚きの文面が。

「誰も悪くなかったんだよ」。

!?!?

な、な、な、

なんで!?

まるで私の悪しき気持ちを見透かしていたような言葉。え、なに、エスパー? 仙人??

確かに、彼はよくこの言葉を使います。例えば私がたまに調子を崩して、中学校では誰も守ってくれなかった、と喚いたりとか、大学生のときに受けたDVのことで取り乱したりとかすると、

「誰も悪くなかったんだよ」。

なぜかというと、誰かを悪者にすると、そこに意識がいってしまい、うまく手放せなくなるから、責めることをやめたほうがいい、とのことなのです。

あの中学校にいた奴らも、DV野郎のことも、「どうでもいいこと」として切り捨てるには、責めないこと。責める価値すらないと心得ること。少し想像力を働かせて、彼らにも事情があったのかもしれないし、何よりも陋劣な彼らを、自分は許してあげる権利があるのだから、微笑みを添えて捨て置きましょう、とのこと。

うーん、今すぐじゃなくても、いつかそういう境地に達してみたいものです。

たしかに、昨今の郵便局は人手不足で配達も大変なのかもしれないし、午前中に応対した方は新人だったのかもしれない。午後の電話の人は日曜勤務で疲れていたのかもしれない。全部想像の域は出ませんが、可能性を広げることは大切だね。

うん、許そう、何よりここで私がむかつくことは誰も(もちろん私自身も)得しない。

改めて、彼の底知れなさを実感した出来事でした。はるか沖縄まで、私の怒りがダダ漏れだったのでしょうか……?わー。

沖縄はどうだい?とざっくりした返事をしたら、すぐに

「なんくるないさー」。

使い方ちょっと違う気もしないでもないけど、まあいいや。無性にさんぴん茶が飲みたくなりました。

#日記 #1000ノート目

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