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2019年の創作を振りかえってみる

「note透明文芸部」に丹宗あやさんが投稿された「私の弱点」と「2019創作まとめ」を兼ねた記事を書こうと思います。

今年は、何はなくとも長編小説の失敗、、頓挫? 挫折が大きかったです。「ゆく夏に穿つ」という小説だったのですが、リライトを試みているうちにどんどん苦しくなって、みじめにも筆を折ってしまいました。

このことは大きな学びというか、今後の創作を見つめなおす上で大きな財産も遺してくれたので決してチャレンジしたこと自体は後悔していないのですが……とにもかくにも、愛すべき登場人物たちをちゃんとエピローグまで連れて行ってあげられなかったというショックが大きくて……。それもあってか好きだったはずの「書くこと」が怖くなってしまったという経緯もありました、が、全部これ言い訳だ。

まずは自分の才能のなさ、視野の狭さ、世界観の偏重っぷり、などなど耳にするとアイタタタなことをきちんと受け止めなければと真剣に思います。いや趣味じゃん、それは確かにそうなんですが、うーん、誤解を恐れずに書くなら、もう創作が自分と不可分になってしまった感覚もあったりして。

これは一度、立ち止まって「創作と自分」についてちゃんと見つめなおしたいなと考え、この記事を書くに至りました。

詩(現代詩)

私が初めて創作を発表したのが20代の前半。精神病院を退院後に自宅にこもりがちだった時期に、当時流行っていた「ジオシティーズ」で自分のサイトを作って(htmlタグとかいちいち検索して打ち込んで、フレームページとか作っていました。懐かしい……)、そこにぽつぽつと詩、のような散文を載せていました。技巧とか技術、知識なんて皆無で、今以上に独りよがりな文字列を、なんとなーく掲載していました。

でも実は、たぶん創作の最初の最初は、入院時期に辛うじて接触を許可された先の尖っていない太めの鉛筆で、こっそり持ち込んだキャンパスノートが真っ黒になるまでひたすら「聞こえくる声」などを「女神様」に書き留めることを命じられていたために「そうせざるを得なかった」という、極めて内発的な衝動だったように記憶しています。

なので、今でも詩を書くという行為は自分に一番合っているのかな、というかもう、自分のライフワークの一部なんだろうなという自然体な感覚があります。いろいろな人の作品に触れて学びになる面はもちろんありますが、最も「私」という人間の表現として純度が高いのが詩なんだろうなと。良くも悪くも「不可侵」な分野なのだろうと思います。

短歌

短歌との付き合いは詩に比べて極めて短く、2017年ごろから本格的に詠みはじめたと記憶しています。五七五七七のリズムがスッと自分の中に入ってきて、様式美というか型というか、そういうものを意識して心情や情景を切り取るのがとにかく楽しくて。下手の横好きは百も承知、それでも歌が生まれてくるたびに一種の喜びを持って書き留めていました。

こちらは早々に壁を自覚し、短歌関連の本は4冊ほど読破しました。数的には多くないですが、一冊を何周もしているので自分なりにたくさんを吸収しました。ありがたいことに「結社」というものへのお誘いを受けたこともあったのですが、その形はなんとなく自分にはそぐわなかたっというか、力不足もあったし自信もないしでお断りしました。素人が好き勝手詠んで「で、それが何?」と言われているほうがまだ気楽だったのですね。

でも、短歌との出会いは詩にもいい影響を及ぼしました。世界の切り取り方の新しいツールを見つけたというか。よい出会い、よい発見です。

俳句

こちらも経験歴は極めて浅く、それこそ始めたのは今年だったんじゃないかなと思います。五七五という短い中に余情を漂わせる、さながら職人芸のような質と高貴さを感じられたのが俳句です。季語を意識することで、また私の視界に新しい色彩が加わった感覚すらありました。

いざ一句詠もうとすると、ストンと自分の中に落ちてくる句はなかなか浮かばないのですが、がっつりと「詠もう詠もう」とするときよりも、例えば朝のラッシュの新宿駅で乗り換え中のまったく余裕がないはずの時にふっと降りてくる情景があったりして、「あっ、これだ」みたいに会心することがあったりして、運が良ければ覚えていられるという。

俳句をはじめて、言葉との出会いも一期一会だという大事なことを学びました。季語、切れ字などの知識が全然足りていないので、これは純粋に「学び」として知識を得ていく醍醐味もありそうです。

掌編小説・短編小説

ここまで書いていてだんだん見えてきました。たぶん、私は陸上選手に例えるならスプリンターなんだと思います。才能云々というよりかは、親和性でしょうか。

さくっと書けてさくっと読んでもらえる。その気軽さも相まって、自分の書きたいことが素直に出せるような気がしています。

以前まで、私は小説を書くにあたってプロットというものを一切立てませんでした。プロット自体が自分を縛ってしまうのではないか、という危惧があったからです。けれど、それは純粋に私の力不足で、ただ怖かったのです、自分の書いた文章から自分の気持ちが離れていくのが。

それでも、noteに上げているものは自分では好きな作品ですし、自分でちょっとなぁ、と思うものは努めて表に出さないようにしています。なので私の個人クラウドには日の目を見ていない作品たちがごろごろしていて、いつかそれらもちゃんとリライトなどをして天日干ししてあげたいなぁと考えています。

中・長編小説

あー、ついにこの項目だん。スプリンター笹塚が足をくじいたのが「ゆく夏に穿つ」のリライト(という名の新作)でした。いろいろなクリエイターさんとの出会い、企画などへの参加への経験もあり、「このままじゃダメだー」とプロットを頑張って立ててみたものの、見事にそのプロットの中で迷子になった結果の頓挫でもあります。

それこそ、最初は小説の基本的ルール(三点リーダは2つずつ使う、とか「!」「?」のあとは一マスあけるとか)すら知らず、好き放題に書き散らかした結果25万字を超えてしまった作品(諸事情で「彼について」と改題)もあります。正直、あの頃はのびのび書きたいことを書いていました、稚拙さよりも熱量が勝っていたのだと思います(あくまで、自分の中で)。

ありがたいことにお声がけいただいたいくつかの機会に自作品を出したりもしましたが、そこで私は徹底的に迷子になってしまったようでした。自分の表現が「違うもの・改善すべきもの」として誰かの文字に乗っていく、それは批評をもらう上で当たり前のことなんだと頭ではわかっていても、気持ちがどうしても追いつかなかったのです。これは間違いなく、私の臆病さなんだろうなと深く反省しています。これが紛うことない、「私の弱点」なんだろうと。

……という言い訳をずらりと並べても面白くないので、よかったことも書いておきます。以前、「桐崎くん」という作品をnoteで連載したことがありました。嬉しいことにこの作品はたくさんの方に愛していただき、テーマソングまで作っていただけて、嬉しさのあまり画面の前でほろほろと泣いたりしてました。

ああ、作品って独りで書くだけじゃないんだな、という気づきを得られたこと、心から感謝しています。下のリンクから、今までの中・長編小説作品の一覧がご覧いただけます。

で、結局どうするのよ

で、私なりに悩みぬいて決めました。「ゆく夏に穿つ」は続編としてあった「しあわせのかたち」という作品とドッキングしてブレンドして、1から(ほぼ0から?)書きなおします。

あわせて、今後、noteでは中・長編小説の発表はしません。文学フリマで売るなど(あるいは有料記事を作成して有料部分にPDFのダウンロードリンクを貼るなど)して、「詩や短歌はコンスタントにnoteへ投稿、長めの小説は頒布物として世に出す」というスタイルでいこうと思います。

大変な身勝手を申し上げていることと思います。これまでご購入いただいた方々には心から申し訳ないので、可能な範囲での対応とはなりますが、リライト前と後の本との交換という対応を取らせていただければ幸いです。

何のための創作か、という問いは立たない

何のための創作か。以前こんな記事も書きましたが、何かのために書くという脈絡がそもそも私の中に存在していないので、「何のために書くのか」「誰のために書くのか」という問いがそもそも立たないのだと思います。頭をむんずと掴まれて髪の毛を引っ張られながら「なんで書いてんだ!?」とか脅迫めいて責め立てられたとしても、

「書かずにいられなかったんです、それだけです」

と、へらへら笑ってしまうであろう私です。まず書きたいという欲求が先にあって、それから技術やルール、見せ方などが付随してきたというか。

あ、わかっただんだん見えてきた。病床で悲鳴を殺しながら切迫して「女神の声」を書き留めていた頃と、私の創作へのスタンスはあまり変わっていないのかもしれません。だから、たぶん「創作」だなんておさまりのいい言葉じゃなくて、もしかしたら「書き散らかし」に近いのかもしれません……。

書かなきゃ、書かなきゃ、ああ書きたい、という渇望なのでしょう。

反転せよ

他者からの批評を素直に受け止める勇気のなさは、反転してくれたらどうなるでしょうか。うまいこと整ったとしたら「我が道を行く」なんて形になるのでしょうか。その辺は全くの未知数ですが、ここで一つ良かったと思うのは、私自身が「バズること」「受けること」ひいては「日和ること」にほぼ無関心なことです。人は人、私は私、それ以上何か? みたいな。

それでいて、弱点がどうにか反転しないかと願っている。なかなかの矛盾です。でも、それは創作に対して私なりに誠実でありたいという祈りの欠片なんだ……という着地点で、今日はそろそろ終わろうと思います。

「楽しいかどうか」と「書かずにいられない衝動」が仲良く共存してくれたらどんなにかいいか。そんな、身に余る夢を抱きつつ、仕事納めも無事に済んだことですし、明日は朝寝坊できるんだなー。嬉しい。おやすみなさい。

迷走スプリンター笹塚ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

記事をお読みくださり、ありがとうございます!もしサポートいただけましたら、今後の創作のための取材費や、美味しいコーヒータイムの資金にいたします(*‘ω‘ *)