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軽度知的障害と自立に成功した母親

その翌日から車の送迎は無くなりました。が、「物陰に誰かずっとこっちを見ている」とあるスタッフから連絡が入り、そっと見ると、なんと母親でした。再度、事務室に呼んで会話したところ、幼い頃から軽度の知的障害でずっとつきっきりで面倒を見てきた。自分の生活は子供の世話をすることが日常なので、それがないことは考えられない、ても立っても居られなくなりついてきてしまいました。

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▼ 親離れ、子離れが遅れると自立時期も送れる
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ルールに厳格なのが、HSPの方や、発達障害の方々です。彼らは自分に厳しい分、相手にもそれを求めます。これによりコミニュケーションで問題が生じることがあります。

「母親が心配で、勤務中ずっとオフィスの外で待っている」

実は、これは本当にあった話で、当グループの第一号店での出来事です。基本的に当グループは各事業所の管理者が主体となって、障がい者の自立を進めています。その中に親子関係があります。親に頼りすぎず、親も子供を尊重する、という方法で支援してきます。

ある、親子(母親と子供)が面接に来ました。面接は基本的に障がい者自身が自分の言葉で話すのですが、私の質問に母親がずっと話をしてきます。その場で注意をするのですが、本人が全く話をしようとしないので、母親の言葉を聞いて判断するしかない状況が続き、その情報で簡易アセスメントを行いました。結果は、IT業務に対応できるという判断で雇用になります。

それから1ヶ月後、初出勤を迎えます。その日、私は朝から現地事業所にいました。すると、8時50分ごろ、母親の車に乗って本人が出社してきました。基本的に身体が不自由でない限り、自力で出勤するルールになっています。私はその場で母親へ注意します。「車で送迎する必要がなければ、自力で出勤させるようにしますので、ご協力お願いします」

翌日、前日と同じく車で送迎していました。一度注意したので少し様子を見ることにし、1週間が経過しました。1週間、車の送迎は変わらず行っていたため、母親を事務室に呼んで説明しました。その障がい者は20歳で立派な成人ですので、本人を尊重し自立させる目的で、一緒に見守っていきましょう。お子さんとの距離を少しずつ離していきましょう。このような会話しました。

その翌日から車の送迎は無くなりました。が、「物陰に誰かずっとこっちを見ている」とあるスタッフから連絡が入り、そっと見ると、なんと母親でした。再度、事務室に呼んで会話したところ、幼い頃から軽度の知的障害でずっとつきっきりで面倒を見てきた。自分の生活は子供の世話をすることが日常なので、それがないことは考えられない、ても立っても居られなくなりついてきてしまいました。

その場で私から、お子さんを信じてあげましょう。お子さんも立派な成人で自分の道を歩み出すところです。見守りましょう。というと母親は泣きながら「そうします」と言い帰宅しました。

その翌日から母親の姿はありませんでした。障がい者本人は母親がいない状況で不安な感じが続きます。常に振り向くと母親がいる環境から、母親がいない環境になり精神状態が不安定になりますが、スタッフがうまくケアしていきました。

それから1ヶ月後、入社時には母親が自分の意見や気持ちを代弁していたのが、自ら発言し、自ら学習し才能がどんどん開花していきます。アセスメントでは、軽度知的障害でありながらIT業務に対応できる、との結果の通り、業務ではPCを使った作業を担当しています。

現在では仕事面でのアイデアも積極的に出すようになり、見違えるように立派な人材になりました。
母親の気持ちは十分理解できます。しかし子供は自立しなければなりません。いつかこの日が来てしまうのです。おそらく、軽度知的障がいということで、将来、仕事することが難しいという判断もあったのだと思います。生涯かけて親が面倒を見るという覚悟があったのかもしれません。しかし、仕事することが難しい、という判断をするのはまだ早すぎます。

当グループでは、雇用している障がい者のこのような事例を毎日作っています。

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