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真似てはいけないと思う罪の意識

只今執筆活動中です。

書いていくうちになんとなーーく参考にしている人の考えや書き方に似てしまっているのでは?と思ってきました。

それをかなりいけないことだと思っている自分がいて...

何故かというと、以前ハンドメイドの物を作って販売していたのですが、その時私の周りのハンドメイド作りの人達は“オリジナル”や“パクリ”、“自分が作った作品”ということにとても敏感でした。

私はそんな人がいても丸々同じじゃなければ参考にするならいいのでは?と思っていたのです。もちろん、本人が嫌がっていたら話は別ですが。

しかしそれを認めない人からは“似ている作品”にはかなり冷たい目で見られるという意識がありました。そういう噂みたいなものを聞いたこともありましたし。

なので“真似する”、“似ている”というものに罪の意識さえ芽生えていました。

そして、心理の勉強をしつつ執筆活動をしているとそれを思い出してしまって中々書き出せずにいました。

真似てはいけない。似てもいけない。

書きたいことが書けないモヤモヤ感。

そして最近本気でやろうとすると押し寄せるので、もう正直に

「直接本人に確認してみよう。」

って思って。

そして連絡。

「パクリでも全然問題ないので好きに書いてみて。」

え〜〜〜〜〜!!!いいんですか?(笑)
と思いつつ、本当に気持ちが楽になりました。
ありがたい。

そして思い出したんです。

大学時代に教育実習へ行った時に、担当してくれる先生にやり方が似てきてて。その事を大学の先生に話たら、「似てくるの当たり前じゃん。その為に実習行ってんだから。色んな先生のやり方を学んで、それを自分に移して、その中から自分に合うやり方を選んで現場で活かすんだよ。」って言われたこと。

当時は、「あ、そーなのか。」程度でしたが

卒業してしばらくしてそれを「成る程なぁー。」って実感するとは思ってもいませんでした。

大変だったという記憶しかなかった実習もこんな形で役に立つとは(笑)

つまり、何が言いたいのかと申しますと。

似ているのがいけないのではなく、その後ろに隠された罪悪感が問題なんだ!

“似ている”であって、全く一緒になんてならない。

何故なら最初に書いた人と私は違うのだから。

学び方も、経験も、考えも、性格も。

むしろ同じになると思ってた自分が恥ずかしいくらいだわ!!!

それに同じように書いたとしても、それを人が買ってくれるかなんてわからないんだから。

だからもう答えは一つ。

「グダグダ言ってないでとにかくやれ。」


はい。今からまた再開します(笑)

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