わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる・・・・・・・・・・・・その④
キリがなぜそこまでして、マルちゃんを監視し続けてきたのか。
このあたりに焦点を当てて、わたしは、キリと話をすることに。
キリはどこか不安げに見えましたが、驚いたような
それとはなく、うれしそうな表情もみせていました。
キリのように他を簡単には受けつけないような子どもでも、わたしの心からの気持ちを向けられて悪い気はしなかったのでしょう。
次第にキリは、長年、積もりに積もった感情を吐き出し始めました。
ムチまで打ってマルを監視し続けなければいけなかったことは、大きな負担で、いかに苦痛だったか。
間違わないように、変わったことをしないようにと、四六時中、注意を払い、それゆえ緊張しきり、疲弊してからだがコチコチになっていたこと。
監視する以外のことをする余裕のかけらもなかったこと。
切羽詰まっていた毎日のこと。
全ては、生き延びるためには、絶対に必要だったこと。
キリの吐露を聞くうちに、講座で学んだことを思い出していました。
子どもは親に依存している。親から見放されたら、生きていけないことを
本能的に知っている。それゆえ、親が子どもに望むことを即座に嗅ぎ出して、それに従っていく。
キリには選択の余地がなく、親が指示することに従わざるをえなかった。
でも、大人になった今、わたし自身が指揮をしていけるはず。
選択肢のなかから、自分の心の欲求に合うものを選択していけるのです。
自由になれる。
わたしの両親とて、子どもの頃は、選択の自由もない環境で、親の言うことに従うしかなかったのでしょう。
そのような、言動パターンが、親から子へと引き継がれ、負の連鎖が生まれてしまった。
でも、大人となったわたしには、負の連鎖を断ち切る自由があるのです。
自分を解放して救えるのは「わたし」しかいないことに気づきました。
キリも、溜まっていた怒りや苦痛、困窮しきっていたその心の内を吐き出して、スッキリとしてきたようです。
心が浄化されたのです。
長いこと、わたしが、自分の心の目を向けなかったがために、苦しんで、歪曲してしまったキリの心の内を想いはかると、わたしの心は痛みました。
でも、傷の痛みを感じると、そこから優しさや思いやりが生まれてくることも実感しました。
わたしは、キリに向かって優しく心を込めて、同時に、確固として、
指揮者としてのわたしの決意を伝えました。
キリ、これからは、あなたの本当に好きなことに打ち込んでいいのよ。
よろこびを感じたり、ワクワク感を体験していったら、キリは子どもらしさを取り戻すのではと考えたから。
今ここで、わたしに本当に必要なものは何かを、わたし自身が探し出して、自分で決めていく自由を駆使していこうと決意したのです。
マルちゃんも、マルちゃんで、自分の課題に取り組まなければなりません。
そうするうちに、キリとマルちゃんの関係性も次第に変わっていったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く
Reiko
『わたしの中の「ゲジゲジ」を受け入れる』・その③はこちら↓です。
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