つながり ~ドイツ平和村を訪ねて ~
今回の記事は、ドイツ国際平和村施設を訪ねたレポートのようなものです。
ドイツ平和村の活動のひとつに、子どもたちの治療援助というものがあります。
紛争地域や危機的状況にある地域で、ケガをしたり病気の子どもたちは、地元の医療機関で治療を受けられないことが多々あるため、そのような子どもたちをドイツ平和村で迎え、治療し、母国へ送り返すという援助活動です。
治療期間は、最短6カ月。長いと数年かかり、その間、子どもたちは、家族から離れて平和村で暮らします。
この平和村の治療援助に役立ててもらいたいと思い、南ドイツに住むわたしの友人から預かった松葉杖を、ここで働く日本人女性 たえこさんにお届けするのが、今回の訪問の目的。
(友人とたえこさんは、知り合い同士。)
たえこさんは、日曜出勤にもかかわらず、施設の案内をしてくださった。
ずいぶん前になるが、帰国の際に、あるテレビ番組をつうじて、この平和村のことを知った。
自分の住む近くにこのような施設があり、尊い活動が行われていることが記憶に残っていたので、詳しい説明をしていただいてありがたかった。
お話を聴くうちに、その番組の中で紹介されていた日本人女性は、たえこさんのことだったとわかり、ハッとした。
自分の過去と今が、つながったように感じられたからだ。
施設内で遊ぶ子どもたちのなかには、車椅子に頼る子どももいる。
日本人女性のボランティアの方が、車椅子を押して、手伝いをされていた。彼女は、日本では看護師だが、これまでの仕事を辞めて、数か月の間、ここで働くのだという。
やはり、上述のテレビ番組を観て、感銘を受けたことがきっかけのようだ。
バクテリアによる炎症で、脚の骨が、極度に湾曲してO脚になり、足の外側の縁だけを地面につけて歩く子もいた。
炎症は、早期治療を受けることができれば、抗生物質の投与で、比較的簡単に完治するのだそう。
けれども、貧しい家庭の子どもたちは、そうすぐには、医者にかかれない。
戦争や紛争で、インフラが破壊され、医療機関が不足しているために治療を受けられない場合も多くあるのだという。
首から顔にかけて、火傷の痕がある子もいた。
一人や二人ではなかった。
とても痛々しくて、どこに目を向けてよいのかわからないわたしがいた。
たえこさんが子どもたちに接する姿を見ていると、わたしのような戸惑いは、まったくない。
凛としてやさしく、彼女の視線は、まっすぐだ。
親身になって子どもたちに接しているが、甘やかしたりはしない。
そのせいか、子どもたちはお互いに助け合っていて、自立しているな、と感じた。
車椅子の子が、スロープをのぼるときなど、周りにいる子たちが、サッと車椅子を押して手伝うのだ。
12歳くらいの女の子は、年下の子どもたちに一目置かれていて、何かあると、施設の職員と子どもたちのインターフェイス的な役を果たしてくれるという。子どもたちの間に信頼関係があるからだろう。
また、自分とは違う文化背景の子どもに接して、子どもたちは、「違いがある」ことを学んでいくのだそう。
例えば、アフガニスタンの子どもたちは、男子と女子が同席してはいけないとの理由で、男女は、時間をずらして食事をする。
こういう光景は、アフリカの子どもたちには、奇妙に映るらしいが、次第に、そういうものなんだ、と受け入れていくと。
約200人の子どもたちが暮らす大世帯のことだから、様々な問題も起こるだろうし、難しい課題もあるだろう。
でも、たえこさんは、繰り返し、ここで働けてうれしい、と語っていらした。
こんなことを知ると、とくにね、と次のようなエピソードを話してくださった。
時期は異なったが、ドイツ平和村で治療を受けたアフガニスタン出身の男女が、帰国後、現地平和村の活動で知り合い、結婚したのだという。
それぞれ違う民族に属する男女の結婚は、タブー視されている社会の中で、二人は、それを克服したのだと。
なぜなら、そういう因習は、つながりを断ち、平和へつながるものではない、とドイツ平和村で学んだからだという。
たえこさんの喜びは、このようなつながりを感じられるところから生まれるのかもしれないと思った。
子どもたちが、一緒に遊び、学び、互いに助け合いながらつながっていく。
医師をはじめ、元教師、学生などたくさんの方々がボランティアでやってきて、子どもたちを支え、つながっていく。
平和は、一人とひとりのつながりから、築かれていくんだ。
末尾になりますが、ドイツ国際平和村のHPリンクを記します。
参考にしていただければ幸いです。
Reiko
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