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幸せに生きるために

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過去を過去にして、幸せに生きてゆけることを感じたものをnoteに。
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#世界の構造

勁草であれ

強い雑草だったはず。 原点に還ろう。 そう、強い雑草だった。 また、始めよう。 いつまでも、勁草であれ。 いつから、エリート気取りになった? それでも構わない、流されなければ。 知らず知らず、心が全部すり変わっていないか。 あの頃の景色を忘れていないか。 もっと、心で感じるものを信じてもいい。 あの頃を思い出せば、また気付くだろう。 それまでエリート気取りを楽しめばいいよ。 何一つ責めたりしない。 好きなことをする。 眠りたいだけ眠る。 食べたいものを食べる。

産まれた瞬間に、悟っている人はいない。

✨ 絵 まきこさん ✨ 神、人神、現人神、スピリチュアル、その他、、、 いろいろ世の中にはありますが、それらについての考えを書きます。 以前から宗教お断りとか、見たことないから信じていないとか、あれこれこうしろってケチなことを人を超えた存在が言うわけがないとか、散々言っていますが、補足とか見解の説明になればと思います。何度も言ってますが、否定しているのではなく、見てないからということです。例えば、目の前に現れたなら素直に信じます。ただ、ここでもう一つ誤解されたくないのです

“ライフライン“ カタカナ英語が与える危険

“ ライフライン “ 誰でも分かると思う。子供の時から日本語のように浸透して聞いている言葉だと思う。そして、ちゃんと意味や概念を理解しているだろう。 しかし、カタカナ英語になることで、奥深くに内包されている真理が見出せなくなっている。何となく学術的にとかビジネスっぽく『ライフラインとは、水道、電気、ガスなど生活に必要なインフラを指す。』と、言ったように表面的な意味で捉えてしまう。 そこにさらに“インフラ”である。では、『インフラとは、infrastructureであり、生活や

動物界とペット界と人間界

とめどもない話し。 賛否が全く判断出来ないし、発信するほど深く考えたことがなかったけれど、何というかジレンマを感じるので書いておくことにした。つまり、解決する方法も解らず問題提起だけになるかもしれないです。 各方面で意見をお持ちの方もいるでしょうけれど、ご了承ください。きっかけは、迷子犬などを保護する施設で去勢・不妊の手術をしてあり、里親を募集しますという記事。 ペットへの考えには、定義がいくつかあると思う。 例えば、 ・ペットは、人間と一緒に居たい。 ・依存しているのが

とても変な考えかもしれないけど考察してみる

日本の世帯は、4900万程度。会社はいくつあるのだろうか。そこから公務員等の国などに依存する人を差し引いて残った人々でどのくらいになるだろう。その人々で一斉に1〜2年税金を払わないとしたら、どうなるのだろうか。 公務員は武器を持って、一般市民に襲いかかるだろうか。武器の有無は別にしても、数では圧倒的な差だろう。その間、公務員以外の一般人の経済は前よりも良くなるだろう。例えば紙幣が発行されず不足したら物物交換や本当の意味での信用取引だって出来るだろう。互助の感覚は進まないだろう

守るということ

自分の命に愛を 隣に居る人に愛を だから、生き残るという選択をする。 自分を、最愛の人を、家族を、友人を、街を、国を、、、 愛して守る。 命を投げ出すことは、愛国心なのか? 国を愛する心があるなら、生き残ることではないだろうか。 死人に国を創ることは出来ない。 軍産複合であり、その商売に加担しているだけ。 💉や病気もマッチポンプの可能性はないですか? それらは、誰かが私腹を肥やしている。 私腹を肥やす誰かは、💉や戦場で死んだりしない。 そんな者たちのために命を無駄に