見出し画像

私たちはどこまで人にやさしくなれるのだろうか?

神様、どうかあの人を、あのやさしすぎる人を、お守りください。
どうか、あの人が穏やかな日々を過ごせますように。
 
特定な神様を信仰してはいない私だけれど、きっといる神様に祈らずにはいられなかった。
だって、やさしすぎる“あの人”は、やわらかで壊れそうな声をしていたから。

*************************************************************************

その“あの人”に出会った日、私は、副業先の心療内科クリニックの勤務日であった。
そこはマンションの1階、さまざまな店舗がならぶ一角に、そっと看板を掲げる小さなクリニック。そこで私は土曜日だけ心理カウンセラーとして勤務している。
 
「おはようございます」
受付のAくんにあいさつする。Aくんがいつもの笑顔で応えてくれる。受付前の長椅子には、50代と思われる男性と、80代くらいの女性が並んで座っていた。その離れすぎず、近すぎない2人の距離から、2人は母・息子だろうなと推察できた。診察待ちか。患者さんは、母親の方だろうか。彼女には表情が消えていたから。息子さんが母親をクリニックに連れてきたのだろう。車社会のこの街は、患者さんにご家族が付き添い、車で送迎することが多い。
 
私は受付の前をとおり、カウンセリング室に入った。心理カウンセリングの予約患者さんがいらっしゃるまで、後1時間。私は、部屋を掃除したり、カルテをみなおしたり、念入りに準備をすすめていた。それにしても、疲れがとれない。本業(大学病院)では残業続き。休日・深夜に呼び出されることもある。病院に泊まり込みになることもある。「働き方改革」という文字は、私には縁遠い。
そして、15年続けているこの副業に対して、そろそろ潮時かと思う度合いが強くなっている。月曜日から金曜日は本業。土曜日は副業。週6日の勤務は、40代後半の自分にとって、体力的にも精神的にもきつくなってきていた。
「辞めるとなると……、患者さんの引き継ぎできるかな?」
定期的に通ってくれる患者さんが何人かいる。私がいなくなったとき、その患者さんたちを誰にどう引き継ぐか、そろそろ具体的に決めなきゃなと、思うようになっていた。 
 
カウンセリング室の扉を開けていると、受付の声が聞こえてくる。
「〇〇さん、診察お疲れ様です」
「……」
「診療費ですが、△△円になります」
「……」
受付のAくんが、いつものように丁寧な声で患者さんに対応している。
「次回のご予約は、いかがしますか?」
 
「X月X日でお願いします」
少し間があって男性の声が聞こえた。さっきの長椅子に座っていた男性か。
「雨、止みました? 気をつけてお帰りくださいね」
「……」
「お大事に、してください」
「……」
続いて玄関が開く音がした。
Aくんが患者さんとそのご家族のお帰りを丁寧に見送っているのが目に浮かんだ。
 
少し時間をおいて再び玄関が開く音がし、受付で声がした。さっきの男性の声だ。
「すみません!」
なんだろう? 受付に戻って来るって。 ひとりか? ということは、患者さんは車に乗せてから戻ってきた? もしかして、患者さんが車内で急変!? 緊張が走った。
 
「すみません! 母に何度も話しかけてくださったのに。母、何も答えなくて……」
男性の声は、私の想定外の言葉を並べていた。
「母、耳が悪くて……。丁寧に何度も話しかけてくれたのに、申し訳なくて……」
「そんなこと、気にしないでください」
 
しばらく、男性とAくんのお互いを思いやる会話が続いていた。
その会話は、私の心の中をじわっとさせた。目を潤ませた。頬を伝った涙は、あたたかかった。
 
 


 
 
患者さんが、受付スタッフの言葉に応じないのはよくあること。ここは、心療内科クリニック。というか、どこにでもあるコンビニでも店員さんの「ありがとうございました」をスルーする顧客は多い。Aくんの言葉にこたえなくても、そんなに謝ることでもないのに。Aくんの対応に気遣っての言葉と行動。なんて、やさしい人だろう。
 
そして、男性は母親を車に乗せてから、わざわざ受付に戻ってきて、Aくんに謝った。
Aくんに謝るなら、受付で次の予約を取っていたその場でできたはず。なぜ?
 

男性は、母親の尊厳を守ったのだ。


母親の目の前で、男性がAくんに謝るということは、母親を傷つけるかもしれなかった。耳が聞こえにくいこと。それは、加齢か疾患によるものだろう。どうしようもない。母親は耳が聞こえにくいことで生活に支障があるだろう。そのことで辛い思いをしているだろう。なのに、そのことが原因で、他人に申し訳ないことをしたと、息子が他人に謝るとなると、本人はたまったものではないはずだ。男性は、そんな母親の気持ちを慮った。
 
果たして私だったら、同じ状況でこんなに親の気持ちに想いを馳せられるだろうか? その場で「ごめんね、うちの親、耳悪くてね」と、苦笑いをして済ますであろう。悲しそうな親の顔を見ようともしないで。
 
男性の声が聞こえなくなってから、私はAくんの元に駆け寄った。
「すっごくいい人だね。涙出ちゃったよ」
「そうなんです! 本当に腰の低い方で。いつもお母さんに付き添っていて。お母さん、1級なんで……」
私は、再び言葉を失った。
 
某手帳の1級を持っていらっしゃるということは、ひとりで日常生活を送るにはかなり厳しい。息子である男性が、ずっと、四六時中寄り添っているのだろうか。まわりのすべてを大切にしながら。
 
そんなに、人のために自分の心と力と時間を使うことはできるのか……。
私たちは、どこまで人にやさしくなれるのだろうか……。
 
この仕事をしていて、つくづく思う。私は、どれだけのことを患者さんやそのご家族に教えてもらっているのだろう。どれだけのことを与えてもらっているのだろう。
やさしすぎる“あの人”の言動は、私にもっと人に寄り添えることがあると教えてくれて、もっと頑張れよーというエールに聞こえた。
私もまだまだできるかもしれない。もう少し、この副業を続けてみようと思った。
 
そして、思う。“あの人”は、人に対しては無限大にやさしさを向けているけれど、自分自身にもやさしくしているのかな。
そして、祈る。

どうか神様
”あの人”のやさしさを
“あの人”の心を
お守りください
 


※患者さんやご家族の個人情報に配慮し、事例の本質を守りながらいくつかアレンジを加えておりますことをご了承ください。
 
※この記事は、天狼院書店ホームページに掲載された記事(https://tenro-in.com/mediagp/307432/)に加筆しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?