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走馬灯に左右される人生 ―キメツ×フロイトー

友人の話である。職場で使用しているパソコン用マウスをカッコイイものに買い換えたそうだ。トラックボールがついていて、親指でぐりぐりすると、画面のカーソルが動く。従来のマウスのように画面に合わせて上下左右にマウスを動かさなくてもよい代物だった。人間工学に基づきデザインされている。右手をマウスの上にのせて、指を動かすだけでパソコン画面上のカーソルを自由自在に操れる。使い勝手がとても良い。操作も実にスマートだ。姿勢を伸ばして、モニター画面を見つめ、指先だけを動かしていく。優雅でエレガント。
しかし、締切間近やボスの落雷といったテンパっているときは、今まで通りにマウスを握って、上下左右に動かしてしまう……とのことだ。その時の友人は、背を丸め、必死の形相でモニター画面を凝視しているに違いない。
 
そうなのだ。人は慌てているとき、さらに言えば、危機が迫っているとき、科学に裏付けられた効率性や有効性よりもこれまでの経験が凌駕する。
 

◆「ド派手になっ!」とは言えない医療者


私は、病院でリスクマネージメントに従事する臨床心理士である。いわゆる「医療事故」が起こったときに、その原因を分析し、同じ事故が起こらないように、再発防止策を策定する。このような仕事に関わっていると、危機現場にいる人々の行動や心理状態を目の当たりにする。
 
救急に携わる医療者は、相当の訓練を受けている。患者さんの状態が急変し、命の危機の状態になっても、冷静に声を掛け合い、チームワークを駆使し、目の前の患者さんの命を助ける。また、災害においても訓練は欠かさない。以前、震度5程度の地震が起こったときも、「非常時」となったが、すぐに対策本部が設置され、情報収集のうえ冷静な対応が成されていた。
 
一方で、このような冷静な行動がとれる医療者であっても、患者さんから予期せぬ暴言や暴力を受けたときは、固まってしまう。目の前の患者さんは、助けるべき人である。そんな患者さんから急に
「うっせーなぁ、鬼怒川に流すぞ!!」
と、怒鳴られた。昨今、話題にされるようになった「カスタマー・ハラスメント」的なこういう発言をされる患者さんである。それまで冷静に対応していた医療者はどう対応したらよいかわからない。
ここはユーモアをまじえて対応してはいかがだろう。例えば……
 
●if『鬼滅の刃』(※1)の宇随天元的に対応したら
「鬼怒川とは、地味だなぁ。 
 もっとでっかい川に、てめぇを流してやるよ。
 ド派手になっ!」
 
●if『文豪ストレイドッグス』(※2)の太宰治的に対応したら
 「君、その言い方は聞き捨てならないなぁ。
  君がそんなに川にご執心とあらば、
  どうだい、私と一緒に玉川上水に入水するかい?」
 
しかしながら医療者にこのような訓練は、なされていない。
 
 

◆無意識のチカラ


危機が迫っているときは、効率性や有効性よりも経験が優先される。
再度、『鬼滅の刃』(以下、キメツ)ネタになるが、主人公竈門炭治郎は、鬼との闘いで命を奪われそうになる刹那、走馬灯をみた。
人は死の直前に、今までの経験や記憶の中から、迫りくる死を回避する方法を探すことがあるらしい。その走馬灯から、炭治郎は、起死回生の技を鬼に振るい生き延びる。一方、鬼も走馬灯をみるが、犯罪ばかりを繰り返した走馬灯には絶体絶命のピンチを救う策はなく、炭治郎に滅殺された。
 
少し話は逸れるが、精神分析の創始者であるジークムント・フロイト(1856-1939)(※3)は、無意識の存在とその影響力を明らかにした。例えば、何かの拍子に本音がぽろっと出てしまうことを「錯語行為」と名付けた。
 
2021年、国際オリンピック委員会のバッハ会長が訪日した際、「日本の人々」と言うべき場面で「中国の人々」と言い間違えた。錯語行為である。これまでの経験やそれに伴う思考が心の奥底にあり、無意識に大事な場面で発言してしまった。さて、バッハ会長の経験とはいかなるものか。
 
みなさんも、こういう経験はないだろうか。恋人と一緒にいるとき、ここぞというシーンで元彼/元彼女の名前を言ってしまったとか。職場にて同僚を自分の夫/妻の名前で、思わず呼んでしまったとか。いずれも、赤っ恥になるが(それでとどまればいいが……)、心の奥底にいる自分にとっての人生のキーパーソンの名前なのであろう。普段は心の奥に隠れていても、いたずらにぽろっとそれが顔を出す。
 

◆走馬灯を味方に


このように、人間は大事な局面では、効率的・有効的には行動できない。自らのこれまでの経験に基づいた行動になる。「頭でわかっていても、手や口が勝手に動いてしまった」という状態だ。このように私たちを動かす無意識の経験は、自らが学んだ結果であり、自分の記憶にしっかり残っている大切なものなのだ。このような記憶が走馬灯に映し出されるのであろう。
 
然れば、私たちの人生は走馬灯に左右されるのかもしれない。それは、情報として「知っている」というものではなく、経験して「やったことがある」ものである。キメツでも走馬灯にでてくるのは、幼少期からの実体験であった。
そう思うと、多くの経験をし、失敗をし、成功をし、走馬灯に数多くの選択肢が映り出すようにしておきたい。そうすれば、さまざまなピンチの場に応じた最適解を導きだしてくれそうな気がする。
 
後輩の中には、短い時間で自分の専門性を極めたいという理由で「これは私の仕事ではありません」「こういう仕事はしたくありません」「こういうムダなことはやりません」と、主張する人もいる。効率性を大事にしているのだろう。もしかしたら、みなさんもこのような発言を耳にするのではないだろうか?
 
私は心の中で「そんなことばっかり言っていたら、走馬灯のパーツが増えないよ」と、つぶやく。声に出すと、「昭和か!」もしくは「大正か!」と突っ込まれそうだ。さらにはパワハラと言われそうで、なかなか面と向かって言えない。柱として……もとい先輩として不甲斐ない。あぁ~、私の貴重な経験より、後輩の口調のほうが私の走馬灯に出てきそうだ。


※1『鬼滅の刃』:吾峠呼世晴による日本の漫画作品。2016年から2020年まで『週刊少年ジャンプ』にて連載された。大正時代の日本を舞台に、家族を鬼に殺された主人公・竈門炭治郎が、鬼に変えられた妹を人間に戻すため、そして家族を襲った鬼を討つために戦う物語。
 
※2『文豪ストレイドッグス』:朝霧カフカによる原作、春河35によるイラストの日本のライトノベルおよび漫画作品。異能力を持った文豪たちが、探偵社やマフィア、軍組織などに所属し、各々の思惑と異能の力を駆使して事件を解決していく物語。
 
※3 ジークムント・フロイト(1856-1939):オーストリアの神経科医であり、精神分析学の創始者。無意識の概念、夢分析、欲望の理論などを通じて、人間の心理を深く探求し、現代心理学に多大な影響を与えた。
 
 
この記事は、天狼院書店ホームページに掲載されたもの( https://tenro-in.com/mediagp/236168/ )に筆を加えました。


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