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ワールドワークを体験して

最近、あたまの中が散らかっているので、トピックをひとつ、とりあえずなメモ的に記録しておく。

週末、プロセスワークと修復的対話を学ぶ場に参加した。
その中で、ワールドワークというグループセッションを体験した。
グループで1つテーマを決め、まずそれに賛成か反対かなど、2つの極を立てる。そして向かい合って立ち、対極してそれぞれの立場からの意見を出し合う。
はじめはディベートではないか?と思った。しかし、相手を論破するのではなく、最終的にどちらか1つを選ぶのではなく、賛成の立場で話していた人が、話しながら、違う見方もあるなぁ、と思えば、反対側に行っても良く、新たに3つ目の極を立てても良い。
ディベートとは異なるものであった。

今回の体験では、参加者それぞれの視点からの考えが立ち上がり、最終的に多極化して終了した。

このことから、1つのものごとには、いろいろな捉え方があること、自分はこうだ!と思っていても、他の人の考えを聞いて自分の考えを変えても良いのだということ、また、少数派とか多数派とか立たされた場によって考えは変わっていくこと、結局、答えは1つにできないので、全てが答えで良いのだと知った。
簡単に言うならば、多様性と流動性を知った、ということだろうか。

どんな考えがあっでもいい、考えや主張が変わってもいい。
なにが正しいかなんて、わからない。
このような感覚は、コミニュケーションや対話の場で、他者も自分も尊重するために必要だと思う。

たまたま見ていた遠藤周作さんの追悼番組で、“善の中にも悪はあり、悪の中にも善はある。”という『深い河』の一節が紹介されていた。
神は手品師のように善も悪も使って、なすべきことを成す。だから、ものごとを白と黒に分けることはできないし、どちらかの立場を選ぶこともできない。
そんな内容だった。そしてこれも、ワールドワークでの感覚に似ているなと思った。

話は少し変わって、毎日タロットカードを引いている。
昨日はワンドの2を引いた。
このカードの図柄は、1人の人の両脇に棒が1本ずつ立っており、人は片手に地球を持ち、もう片手で棒の1本を握っている。
棒は意思や情熱を表している。
この人は、手にした地球=世界を俯瞰的にながめ、選択肢のうちの1つを選んで、一歩踏み出そうとしているかのようだ。

このカードから感じたことと、ワールドワークの体験を重ね合わせてみて、ワールドワークは、自分の最適解を選ぶために、周りの世界を俯瞰的に見るためのひとつの方法なのかもしれない、と思った。

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