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美味しかったものを贈るようなこと #未来のためにできること

私はお土産を渡すことが好きだ。
正確には、非日常の場所でも顔が浮かんだ親しい人に「あの人も好きだろうな」と思ったものを買って、それを持って会いに行くことが嬉しい。

『旅行先で食べた名物が美味しかったから、あなたにも食べてほしくて!』
『どこでも買えるものだけど、地元で人気のお店で、私のおばぁちゃんもお気に入りなので、ぜひ。』
『私も食べて、とても美味しかったんだよ。』
お土産を渡すとき、私はいつも以上によくしゃべる。
とっておきのものを贈るので、イキイキしているのが自分でも分かる。相手も、小さな贈り物と私の顔を交互に見ながら聞いてくれる。

大切な人に自分の好きなものを紹介する喜び。
旅先でも、あなたのことが浮かんで、それがただ嬉しかったこと。また会えたことへの感謝。

幸いなことに、私の親しい人たちは、喜んで受け取ってくれて、食べたあとに改めて感想とお礼を伝えてくれる温かい人たちで、旅の話をして、お土産を贈って、次はもらってをしながら時間を重ねてきた。

私にはお土産について、ほろ苦い思い出がある。
中高生の頃、部活を休んで旅行をした子が部員全員に行き渡る数のお土産を持っていく文化があって、私はこれが好きではなかった。

私の部活は全学年をあわせると30人ぐらいいた。親に本当は気乗りしていないことにお金を払ってもらうことが申し訳なくて、観光地の名前がデカデカと書かれた大きな箱に同じものが大量にはいっている、クッキーを数種類見比べて、どのクッキーだと何箱買う必要があって、結局どれを選べば一番安いのかでお土産を選んでいた。
お土産を渡すときは、相手の反応をみるのが不安で、全員の手に渡るとすぐにその場で箱を潰して、いつも通りに見えるように、友だちを待たせないようにそそくさと帰りの支度をしていた。

未来のためにできることについて考えたときに、同じ「お土産を贈ること」でも随分ちがう心の動きだったことが頭に浮かんだ。

私たちが生きていくために、同じことをした、同じことをしたい、しようか迷っているときに、その理由や決め手は人の数だけ、状況の数だけ色々ある。そのどれにも「なるほど」「こういう良いことがあるからしたいのか」という理屈はあって「理屈だけでは決めきれない」感情や言葉にならない答えが原動力のときもある。
正しさで1つに決めることはできないけれど、それでも、心が温かくなるものと心が苦しくなるものに分かれるのではないか。
心が苦しいけれども正しい理由でしたことが相手にとって好都合だったり、全体にとって良いことがあったり、心の苦しみが周りには気づかれないこともあったりする。
でも、心が温かくなる理由で選んだときには、している本人が喜んでいることは周りにも伝わるし、相手の心も温かくなることが多いような気がしているし、そうだと良いなと思う。

未来は、ひとりひとりのもので、1人だけのためのものではない。あなたが選ぶ自由があって、他の人が選んだ結果を被ることがある。
未来のためにできること、「これをした方がいい」「それはやめて」と言える答えは見つからない。

美味しいものを「あなたに食べてほしい」と贈ること。
たくさん考えて選んだもの、好きなもの、思い出のあるものを、日常でも非日常にいても大切な相手に渡せる喜び。

未来のために何かをするとき、選ぶとき、やめるとき、その理由は人や状況によって、きっと違うのだろうけれど、どうか選んだ人が心が温かくなる方を選べますようにと願ってしまう。

#未来のためにできること

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