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母は仕事と家事を休んでニュージーランドへ行く②

47歳の主婦にニュージーランドは果てしなく遠い

私は現在47歳。
19歳の長男(学生)と17歳と15歳の2人の娘のいる母です。
子育て中はささやかに個人事業で野菜の直売をしてみたり、事務っぽいことを請け負ったり、地域おこし協力隊だったここともあったりします。子育てしながらの働き方を模索して、我ながら、他人とは違ったおもしろい働き方をしてきたなと思っていて、これらのことは、またそのうち書き綴っていきたいな〜と思いますが。。。とりあえず今は、保育士をしています。

保育士をやることになった道筋も、これまた我ながら、愉快な経緯があるので、どこかで書きたいな〜と思っています。
(そんなのばっかりな私の人生)

今は我が子の学資を稼ぐために、兎にも角にも、ばりばりもりもり働いて、家では家事を(テキトーに)やっつけて、疲れ果てて倒れるように眠る毎日を過ごす、時間とお金と気持ちのゆとりが、なんだかいっつも足りてない母です。


子どもを生み育て始めてからの19年。
どんなときもやっぱり母は、我が子のことが優先で。
やりたいことができなかったり。
行きたいところへ行くことができなかったり。
そんなことは、たーーーーーっくさん!ありました。
ありましたっていうか、それが当たり前って感じかな。

我が家では、夫が家庭の在り方や子育てに関して、昭和な感性の持ち主だったので、子育てや家事にはノータッチ。夫の休みの日に子を夫に託して働きに行くことに怒られたりしてたレベル。
基本ずっと、ワンオペで我が家は成り立っていました。
(このへんもいつかnoteに書こうと思っている)

こう書いてくると、なんだか不幸せそうに見えますが。
小さな文句はブツブツと口からこぼれてもしまいますが。

我が子と生きている今は、楽しいことがいっぱいなので、どんなに疲れても少々苦しくても、プラマイしてみると、今の自分は圧倒的に幸せだと思っています。

まあ、そんなこんな19年。
子どもを置いて家を留守にして「海外旅行に行く」なんて選択肢は皆無でした。
20代の頃、子どもを産むまでは、旅行会社に旅行会社に勤めていたこともあり、本来は旅行大好き。国内外問わず旅が好き。でも。そんな大好きだったことを、すっかり忘れちゃうくらいなのが子育て主婦。(遠い目)。。。
学生の頃に訪れたニュージーランドにもう一度行きたいなぁってぼんやりずっと思いながら、それは果てしなく遠く、叶わぬ夢だって感じていました。
叶わぬ夢をみてる感じ。夢は夢って思っちゃってね。

人生初海外、ニュージーランドに行くチャンスを手に入れた16歳。

いまはそんな47歳だけれど、遡ること30年。

高校1年生の時に、住んでいる街でやっていた姉妹都市に学生を短期派遣する事業に応募しました。なんとなく漠然と海外に行ってみたいなって思っていたから。お金はないし、タダで行かせてもらえるならとりあえず応募してみようって。
選考試験の会場に行くと、4人の応募枠に50人くらいはいたと思う。あ、こりゃだめかもしれないなって思いながら、でも「いやいや、勝ち取るしかないでしょ!」となぜかすごくメラメラしたのを今でも覚えています。

選考試験は作文と英語面接。B4の用紙にタイトルが5つくらいあって、その5つすべての作文を書くスタイルでした。16歳の私はその時に瞬時に考えました。
「行きたい!」って強い思いを誰よりアピールしようじゃないの!って。
そして16歳のワタシは、熱烈な思いをすんごい小さい字で、びっしり書き込みました。制限時間1時間。なんと裏までびっしり(笑)。勝手に→書いて裏に続くって書いてね。 英語面接もちょっとはイメージして練習していたし、にこやかさと話そうとする度胸があればイケる!と思っていたので、口角上げて、わからないときはわからないってはっきり言いながら、乗り切った。
今思ってもこの選考試験に向かう16歳のワタシ、なかなかやるなって思う。

そして16歳の策略は成功して。
翌朝、自宅に合格通知の電話連絡がありました。
ニュージーランドに行けることになりました。なんとなく漠然と「海外に行ってみたい」と思っただけではあったけれど、後々振り返ると、これが自分の力で手に入れることの、初めての大きな経験になった気がします。

そしてこの体験は、この先の人生をずっと支える力にもなっています。

初海外は目からウロコがぼろりぼろり。

そんなこんなで生まれて初めての海外…ニュージーランドに降り立った16歳の私ワタシは、オークランドから少し離れた田舎町のお家にホームステイをしました。小さな男の子と女の子がいる4人家族で、酪農を営む家族のお宅。キッチンの窓からの眺めが、緑のパッチワークな大地で、まるで一枚の絵画みたいだって感動。

初めて日本の外に出た16歳のちっぽけなワタシ。
何もかもがもう逐一、「なんなんだー!?この世界はー!?」状態。

空ってこんなに広いんだっけ?
空ってこんなに青いんだっけ?
この海の綺麗さはなんなの?天国なの!?
どこまでも裸足で歩いていくの? 

なんでみんなこんなに悠々としてるの?時間の流れ方が違うんじゃないの??
英語わかんないんだけどー(涙) でも感覚でなんか通じるー!
違う言葉っておもしろいー!
人と人との関わり方がなんか日本とは違うね?

幸せってなにー??(泣)(16歳でそれ 笑)
生き方って?暮らしって??

そして、たった10日間ほどの滞在だったのに。
その10日間にホストファミリーから受けた愛情の大きさったら、なかった。

たった10日間だったけれど、別れの日は号泣だった。
何なら、帰国してからも泣いた。何度も泣いた。

16歳のワタシは、このニュージーランドの10日間ですっかりノックアウトされました。

今振り返ってみても、あそこが私の初めての人生のターニングポイント。
あの10日間は、しっかり今でも心の中の「大切なこと」をしまう宝箱みたいなところに収まっていている。
あの10日間は確実に今の私を作っている。
ちっぽけな10代なりに、たくさん心を動かし、たくさん考えて。
そこからずっと歩んできたねって思ってる。

「また来年来るからね」は消えてしまった…

その4年後。
私は短大生になり、英語を勉強しながら、バイトで資金を作って、もう一度ニュージーランドに降り立ちました。ウェリントンやネイピア、南島のはしっこにもちょこっと寄ったりしながら、またオークランドの片隅の小さな田舎町に住むホストファミリーと再会。
またしばし、素晴らしく平凡で幸せな日常をこの家族と過ごして。
またバイトして来年来るねってオークランド空港でハグして別れた。

来年の3月に卒業旅行としてニュージーランドに来れるって思ってた。1年バイトすれば資金も大丈夫。
ところが卒業後の就職が決まったら。
「4月によーいドンじゃ遅いから、卒業前からすぐ来て」っと呼ばれて、卒業式前から働くことになってしまった。
まぁ、せっかく第一志望の会社に就職できたんだし、まずは仕事がんばろう!ニュージーランドには少し落ち着いてから行けばいい。そう思った。

その時のことを後悔したりはしていないけれど。
結局その「落ち着いたら…」はなかなかやってこなかった。
それから歲月はまたたくまに流れてしまった。
「来年来るからね」って言った言葉が消えてなくなっちゃったみたいに。。。

社会人1年生は毎日がどたばた。
そして旅行会社に勤めた私は、他の国にも行きたくなった。ニュージーランドに行きたい気持ちはあったけれど、違うところにも行ってみたい。お金と時間が出来ると、旅に出た。
結婚して子どもが産まれたら、旅をするどころではなくなった。
私の「来年来るからね」は本当に消えてしまった…と時折思い出すと、ほんのり悲しかった。

ニュージーランドに初めて降り立ったときは16歳だったけれど、気づけばもうあれから何十年も過ぎていた。
いつかまた行けるかな。子育てが終わったら行けるかもってのを夢にしようかな。そんなふうにぼんやり考えるくらいしか出来なかった。
夢は夢。
叶わない夢の方が圧倒的に多いって…。そんなふうに思ったりしてた。

子育てしてる主婦に海外へ行くなんてのは無理。



さて。夢を夢だと最初からあきらめちゃってた私が、ここからどうやって夢を叶えに舵を切り出したのかを次から書いていこうと思います。





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