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アメリカ思い出②現地校

前回に引き続き、
アメリカ滞在の思い出を。
わたしの当時撮った写真を添えて。

今回は、

アメリカでの学校生活について


わたしは、アメリカでは
現地校に通っていました。
現地校なのでもちろん、
普通の公立学校で、
月〜金の週5で
現地の子供達と共に授業を受けていました。

現地校は9月入学〜6月卒業。
私がアメリカに渡ったのは8月頭。

約1ヶ月間の自由な夏休み経て、
8月末から学校入学の手続きなどを進める。

主に両親が手続き等を行ってくれたので
あまり細かいことは覚えていないけれど、
なにか英語力を試すテストを受けたような。

調べてみたら、ELPA(English Language Proficiency Assessment) っていう英語レベルのテストだそうです。

現地校入学において、
英語を母国語としない子供向けの
公立学校の語学プログラム
ELD(English Language Development)
を現地校の授業内に組み込むべきかどうかを
判断する為のテストだそうです。

どうやらわたしはこれを受けたそうです。
テストした時のことはよく覚えていて、
なんかコンテナのような場所に連れて行かれて
面接官らしき人と一対一で向かい合って座る。そして面接官による質問が始まった。

もちろん、アルファベットもわからなかった
わたしは面接官の言っていることは
何一つ理解していません。

面接官の表情は
「あちゃーこりゃ参ったぜ」
みたいな顔されたような。

「仕方ないから次」
のようなニュアンスで、
次は紙と鉛筆が渡された。

そこには英文の質問らしきものと、
空欄が用意されていた。

もちろんこれも何もわからず。
空白で、黙って座ったまま。

緊張とシャイな性格で、
何もできずに固まってしまったのを
覚えている。
とても恥ずかしかったし、
悔しかったし、辛かったのを覚えている。

もちろん、そのテストで
ELDの授業を取ることが決まった。

いよいよ、9月。
現地校に入学。

学校初日。

母の送迎で
年子だった姉と一緒に学校へ。

事前にもらっていた、
連絡帳のようなノート、時間割表、IDを持って指定された教室へ。

そこの教室は
日本でいうクラス、組の教室で、
1年A組とかそういうやつ。

ドキドキ不安で吐きそうになりながら
教室に着くと、
黒髪アジア系の小柄な女性の先生がいる。

どこに座ったらいいか、
分からず、立ち尽くす。

ちらほら、生徒ぽい子たちも
席に座っていたり、
友達と立ち喋りしたり、
いろんな子がいる。

ブラウンヘアーにくるくるののっぽくんや
ツヤツヤ黒髪の肌が焼けたアジア系の女の子や
短髪ブロンドヘアの大きい美形白人くんや
メガネをかけたツンツン頭の小柄くんや
綺麗なブロンドヘアーに花柄のワンピをきたちょっとセクシーな女の子など
いろんな子がいる。

そんな中、
茶髪メガネのニキビ肌の日本人のわたし。
おどおどしながら
どうしよう…どうしようと
焦りまくり。

学校に来る前は、
母に「話しかけられて分からなかったら、何も答えられなかったら、アイキャントスピークイングリッシュっていうんだよ」とだけ言われていたのでそのフレーズだけ覚えていた。

ちょっとぽちゃっとした
アジア系の優しそうな女の子に
何か話しかけられた。

何を言っているか
何もわからず、黙り込んでしまう。
これじゃよくない!失礼だ!
と思って、
とりあえず覚えていたフレーズを言う。

「アイキャントスピークイングリッシュ」

そうすると、

「あ〜そうなんだ」

みたいな感じで、
少し冷たい表情になって
どこかへ行ってしまった。

この状況が怖くて不安で
たまらなくなって
やっと先生のところに行ってみよう
と思って、先生のところへ
静かに近づいた。

先生はパソコンを触っていた。
そこでわたしは横に立ってみる。
それで、またあのフレーズをいう。

「アイキャントスピークイングリッシュ」

そうすると、
先生はニコッとして、
パソコンを触り始めた。

無視されたかと思っていると
先生が画面を指差している。

パソコン画面を見てみると、
翻訳サイトが出ていた。
先生は、どれ?
みたいな感じで言語選択画面にしてたので
Japaneseをわたしが選択した。
Japaneseってワードを知っていてこんなに
救われたことはこの時が最初で最後。

先生は翻訳サイト使って
私とコミュニケーションを取ってくれた。

どうやら、先生は
中国系の人らしい。
だから、とても親近感があるわよ。
みたいなことを翻訳サイトで
言ってくれたのを覚えている。

その後はとりあえず、
先生のおかげで席に着くことができ、
一安心。

安心してるのも束の間、
教室のベルが鳴る。
日本ではチャイムというが、
音がどう聴いてもベルって感じだった。

その後、校内放送が流れると、
みんな急に起立をした。
すると、
みんな一斉に教室の右前にある
アメリカ国旗にむかって
手を胸に当てて何かを言い始めた。

?!?!

何が起きている?!!
校歌?これはなに?
もうちんぷんかんぷん。
とりあえず空気読んで手を胸に当ててみる。
とりあえず口パクしてみる。

動揺を隠しながら
内心、心臓バクバクで
不安と恐怖で押しつぶされそうだった。

「それ」が終わると、
みんな着席。どうやら、終わったらしい。

はぁ…

と一息ついて私も着席。
今思うとシュールだな。
1人わけわからずとりあえず
胸に手を当ててみて
口小さく開けてパクパクさせて
何か言ってる風にしてた。
あー怖かった。

ちなみに「それ」は
“忠誠の誓い”(Pledge of Allegiance)といって
アメリカ合衆国への忠誠心の宣誓のこと。
家に帰ってから、親に聞いて調べてもらった。
その日から言う練習が家で始まった。
もちろん忠誠心などないが馴染む為。

“忠誠の誓い”を知らない方へ、
面白いのでどんな内容かを共有します。


I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.
(私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います)


こんな内容です。
すごいですよね。

わたしの通っていたその現地校では
これが毎朝行われていました。
だから、学校の至る所に
アメリカの国旗がありました。

忠誠心だとか、愛国心だとか、
日本で生まれ育ったわたしには
意味不明だった。

現地校の生徒たちも果たして
忠誠心を持って行っていたか
どうかはわかりませんが。

話が少し逸れてしまいましたが、
話戻します。

その“忠誠の誓い”が終わり、
みんなが着席した後、

先生が、
「では自己紹介を始めます」
的なことを多分言っていたと思う。
ニュアンスで多分そうだと確信した。

    前方
    🧑‍🏫
◯◯  ◯◯  ◯◯  ◯◯
◯◯  ◯◯  ◯◯  ◯◯
◯◯  ◯◯  ◯◯  ◯◯
◯◯  ◯◯  ◯◯  ●◯
◯◯  ◯◯  ◯◯  ◯◯
    後方

こんな感じで、わたしが●
の席に座っていた。

先生はじゃあ、こっちの席から
自己紹介してね!っていって、
先生向かって右側の列の
前の人から後ろに向かってお願いします。
と、言うのです。

つまり、7番目です。

もうかなり昔のことなのに
これだけ覚えていると言うことは
相当な苦痛だったんだろうな。

7番目?すぐじゃん!
ひたすら、恐怖。
自己紹介?どうしよう。

名前は言える、
日本人って言える、
あとはアイキャントスピークイングリッシュ。

それしか言えない。
言うしかない。

順番が回ってきて、言った。

アイムcoco
アイムジャパニーズ
アイキャントスピークイングリッシュ

言えるだけのこと言った。
偉い。
当時のわたしを
抱きしめてあげたい。
よく頑張りました。

ど緊張、不安、恐怖の中
よく頑張りました。

その日はお昼ご飯も、夜ご飯も
全く食べれないまま終わりました。

お豆腐メンタルでした。
たった初日でご飯食べれなくなりました笑
弱すぎるな。

今振り返って見ると、
喋れなくてもどうにかなるでしょ!
身振り手振りニュアンスで
やってけるでしょ。
って思うけれど、

当時は携帯もなく、
まだ、11歳。幼い子供。
電子辞書だけ持って
現地校に挑んでいたので
そんな余裕は一切なかったです。

そんなわたしも学校生活を
楽しめる日が来たのでしょうか?

今日は、学校初日の話で終わりとします。

続く。(たぶん)

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