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アメリカ思い出①

小学生6年生から中学2年生までの約3年間、
思春期真っ只中のわたしはアメリカで過ごした。

その3年間が
当時の幼いわたしの人生において
初めてのターニングポイントだった。

今では夢だったかのように
随分と昔の出来事に感じる。
書き残したら面白いと思ったので
当時私が撮った写真を添えて
適当に記憶のままに書きます。


まず、渡米する前の話


小学生6年生になったばかりの頃、
家で両親にさらっとアメリカに引っ越すよ。
と言われた。

??

それまでは、父親がよく単身赴任で
長期で海外に滞在していた。

今度は家族みんなで海外に引越し。

あまりにさらっと言われたから
そんなに記憶には残っていない。

その頃わたしは
吹奏楽やスポーツクラブに熱心。
そこでの友達たちと離れることが
どうしても嫌で、
アメリカに行きたくないとよく泣いていた。

小学6年生、
5年間友達と過ごしてきて、
それなりにいい友達関係を築いて、
とても楽しく過ごしてた。

子供だったわたしにも、
築いてきた関係とか、
みんなと卒業式出たいとか、
両想いの男の子と離れたくないとか、
中学校はみんなと通いたいとか、

たった10歳そこらの幼いわたしにも
それなりに離れたくない、
手放したくないものがあったみたい。

そんなこんな色んな思いがありつつも、
いよいよ、引越しの日を迎えてしまった。

悲しくて悲しくて、
行きのバスの中でみんなからの
手紙を読みながら泣いた。

幼かった私にとっては
3年間は一生みんなと会えないくらいに
思っていたかも。


12時間くらいの長いフライトを終えて、
初アメリカ大陸に降り立った。
今でも覚えてる、あの匂い。

アメリカに上陸する人は
みんなわかるであろうあの匂い。
香水なのか柔軟剤なのか体臭なのか
わからないけれど、濃くて甘い匂い。
初めて嗅ぐ匂いにドキドキしたのを覚えている。

到着した当日は、
半年前から滞在していた父が
大きな車で迎えにきた。

そのまま、車に揺られ
父の会社へ向かった。

窓の外を揺られながら眺める。
目に見えるもの、肌で感じるものは
すべて新しかった。

広い道路、低い建物、変な形の建物、
広い空、カラッとした空気、強い日差し、
甘い空気の匂い

全てが新しかった。

当時11歳だったわたしには
とても刺激的だった。

その頃にはもうアメリカに行きたくないだとか嫌だとかそういう気持ちは一旦忘れていたのだろう。それどころじゃないというか。

父の会社に着き、
アメリカでの生活関連すべてを
お世話してくれるマネージャーさんに
挨拶を終え、会社見学。
ちらほら日本人もいたが、
目に入るのはでっかい外国人ばかり。

現地の英語喋る人たちに
初めての挨拶でドキドキしたのを覚えてる。
わたしはアルファベットも全くわからない程で、挨拶はもちろん日本語。
マネージャー兼通訳さんに頼った。

会社を後にすると
次に向かったのは
日本人宇宙飛行士の山崎直子さんの講演会。

長い飛行機で疲れてるのになんでよ〜
なんて文句を言いながら、連れてかれた。

案の定、講演会では爆睡。
そりゃそうだ。
講演会の時間は日本時間でいう真夜中。
時差ボケすぎる。
父よ、何故だ。気が利かないな。
と子供ながらに思った。

講演会が終わり、
やっとこさ新しいお家へ。
家らしき建物の前に着くと、

ガレージのシャッターが開く。

広い!広い!なんだここは!
ガレージが家についてるなんて!

そんなワクワクした気持ちで
ガレージに停まった車から降りてみる。

疲れていた体も
新しいお家に興奮して
身軽になる。

暑いガレージ
奥に白いドアがある。
家に入る扉だ!
と扉一つに興奮しながら
家の中に入る。

甘い匂いがする!
広い!広い!なんだここは!

暖炉、大きなソファが2つ、
高い天井、すべてカーペットの床、
シャンデリア、広い庭、噴水、
日が差し込む明るい階段、広い謎の広場、
緑色の壁の洗面所、広いユニットバス、
透けた囲いのシャワールーム、
上からぶら下がるシャワーヘッド、
脱衣所にむき出しのバスタブ、
大きな鏡、大きな窓、大きな天井ファン

トイレ3つ
シャワー2つ

初めてみる大きくて広いお家に大興奮。
そして初めて嗅ぐアメリカのお家の匂い。
カラッとした空気に漂う甘い香り。
今でも匂いがしそうなくらい鮮明に思い出せる。

ここで暮らすのか、
豪邸じゃん。最高じゃん。
ここなら1人部屋じゃん。

なんて思いながら心躍らせていた。
その頃には嫌だった気持ちは晴れていた。


続く。(たぶん)

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