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ガーデンデザイナー、建築家石上純也講演会に行く

建築家の石上純也さんの講演会。とても面白く発見があった。
建築家の講演会にはよく参加させてもらうのだが、今回の石上さんは特に話を聴いてみたい建築家の一人だった。この講演会は去年から申し込んでいたので、話を聴く前に実作を見ておきたいと那須にある水庭を見てきた。
水庭は、栃木県の那須高原にある宿泊施設内の場所にあり、ランドスケープ的な作品だ。400本余りの樹木を移植して牧草地だった場所に池と林を創り上げた。これを見ていたので、講演会での水庭の話はとてもよくわかった。

この水庭で石上さんは何が表現したかったのか?そのヒントをもらう気持ちで話を聴いていた。
まずは、土地の履歴、牧草地の前は田んぼだったという、さらにその前は雑木林だっただろうとの事。今回の水庭ではその雑木林の風景に戻すようなプロセスだったのだろう。敷地の横を流れる小川から水を引き160余りの池を繋いで流し、最後は川に戻す。私もこのような事をしたからわかるが、水が近くにあると敷地にも流したくなるのだ。きっと本能的なものだろう。
雑木林も人の産物であり、自然であるが人の手が入っている。それは田んぼも庭も同じことだ。水庭は、人の手で造られ、人の手で管理されている。自然であって、自然でない。そのような場所は、自然に近いか人工物に近いかは人が関わる程度によってさまざまなケースがあるだろう。庭でも京都のような庭もあれば、雑草を主とした自然に近い庭もある。私は、自然に近い庭をつくろうとしているのであるが、人が手をいれる程度の塩梅が難しいと感じている。ここ水庭ではどんな管理をしているのだろうか。石上さんによれば草花は植えていないとのことだった。全て自然に生えたきた物で、庭師さんが生えてはいけない雑草を抜いているということだ。5年前よりも自然な感じになってきているということで、この理由としては庭師さんが抜くべき雑草がわかってきて慣れてきたのではないかということだった。そう、管理するのは現地で管理する方やクライアント本人なので、教育や慣れるのに時間がかかる。庭もどの程度手を入れるのか、どんな方法で管理するのかはよくクライアントと話し合って、管理ができる範囲のデザインをするべきだと思う。
京都の重森三玲庭園の管理をしている重森さんにお話を伺ったところ、雑草の抜き取りなどは毎日。高木の枝の剪定は、気になる時にしていて年間20回以上はしているとのこと。雑草を許さないということは、このくらいの管理が必要ということだ。一般的な庭では、この頻度での管理は難しいのでもう少し雑草を許容して庭づくりができればと考えている。
石上さんの水庭は、現代の技術を使ってどんな自然を創造できるかのチャレンジだったように思う。半自然、里山のような場所でもありアートを感じるような場所としての水庭。
私も庭を小さな里山と捉えて、どんな空間ができるのか考えていきたいと思う。

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