【ここにあるメンバー紹介】「福祉をもっと面白く!」鈴東裕己
ここにあるをつくっているメンバーを知ってほしい。そんな気持ちから始まったメンバーインタビュー。今回お話を聞いたのは、鈴東裕己さん。「福祉に出会う、福祉とまじわる」をテーマに開催している、障がいがあってもなくても楽しめるフェス「ミーツ・ザ・福祉」や、ユニバーサルなバーづくり(場づくり)をみんなで目指すプロジェクト「ユニbarサル」の運営に関わっています。活動内容やこれまでの経緯について取材しました。聞き手は、PRチームの田中美奈です。
福祉のフェスをしてみたい。「ミーツ・ザ・福祉」の運営に関わる
田中:今日はよろしくお願いします!鈴ちゃんはミーツ・ザ・福祉(以下、ミーツ)の運営メンバーとして活動していますが、これまでどんな企画をつくってきましたか?
鈴東:去年のミーツでは「バリア探しゲーム」の企画に関わりました。「車イス」「見えない」「聞こえない」のいずれかの体験をしながら街を巡るゲームです。
田中:実際に街へ出かける企画だったんですね!
鈴東:そうなんです!スーパーやコンビニへ行って、買い物をするときにどんな困りごとがあるかを体験してもらいました。障がいのある人の日常に触れることで、今まで気づけなかったことに気づいてもらえるなと思って。
実際に、車イスを体験した方からは「車いすだとセルフレジが見にくい」「普段なんとなく歩いている道がガタガタしてこんなにも通りにくいんだと知った」という感想をもらいました。子どもたちからは「困っている人を見たら声をかけようと思った」という声も!いろんな気づきのある時間になったと思います。
田中:うわ〜、それは嬉しいですね。
鈴東:今年11月12日(土)に開催するミーツでも、バージョンアップしたバリア探しゲームをお届けしたいです。
田中:楽しみです!他に、鈴ちゃんが印象に残っている企画はありますか?
鈴東:2020年にチャレンジした「車いすリレーマラソン」が印象に残っています。道行く人に声をかけながら目的地まで車いすを押してもらう企画です。すごく面白かったですね。いろんな人に車いすを押してもらって、無事ゴールまで辿り着くことができました!
田中:すごい……!どんな出会いがありましたか?
鈴東:僕が一番覚えているシーンがあって。一番最後に車イスを押してくれたのが音楽グループのBTSにいるような若いお兄さんだったんです。「どうして協力してくれたんですか?」と聞いたら、「こういうとき助け合うのって当たり前だと思って」と言ってくれて。「めっちゃ素敵!カッコ良すぎるやん!」と思いました(笑)。他にも、この企画で初めて車イスを押してくれた方もいて。「大丈夫?」と僕のことを気にかけながら車イスを押してくれました。
田中:ミーツの名前通り、いろんな出会いが生まれた時間だったんですね。そもそも鈴ちゃんはどんな経緯でミーツに関わることになったんですか?
鈴東:元々福祉のフェスをしてみたいと思っていたんです。当時、福祉のイベントに開放的なイメージがなくて。みんなでつくりあげていくお祭りをしたら、もっと福祉の可能性って広がるんじゃないかな、と。そのことを高校の同級生に話したら、ここにある代表の藤本遼さんのことを教えてくれたんです。その後、ミーツのイベントページをSNSで見つけて。やってみたい福祉のフェスと雰囲気が似ているなと運命を感じて、イベントに参加することにしました。それから、ミーツに関わっています。
ふらっと一人飲みに行きたい。葛藤から生まれた「ユニbarサル」
田中:鈴ちゃんはミーツの他にユニbarサルの運営に関わっていますよね。どんなプロジェクトか教えてください!
鈴東:誰もが楽しめるバーとして開催しているのがユニbarサルです。イベントは月に一度のオンライン開催で、ユニバーサルなバーづくり(場づくり)を目指しています。当日は好きな飲み物や食べ物を持ってきてもらって、みんなでおしゃべりを楽しんでいますね。
田中:鈴ちゃんは立ち上げからユニbarサルに関わっていますよね。どんなきっかけがあってプロジェクトが始まったんですか?
鈴東:僕自身、ひとりで飲みに行きたい思いがあって。でも、ひとり飲みはすごくハードルが高いんです。例えば、仮にお店までひとりで行けたとしても、階段があって車イスでお店に入れない可能性もありますし、お店の人に食事やお手洗いの介助をしてもらうのも難しい。
いろんなバリアがあって、ひとりで飲みに行けないことに葛藤していたんです。障がいがあってもなくてもふらっと行けて、みんなでお酒を飲める場所をつくりたいという思いから、ユニbarサルが始まりました。
田中:鈴ちゃんの思いから生まれたプロジェクトだったんですね。
鈴東:障がいがあることでバーに行くこと自体、諦めている人も多いです。「音楽がかかっていて声が聞こえない」「暗くて手話が見えない」など、バーにはバリアがあることが多いんですよね。コロナ禍なので今はオンラインでイベント開催していますが、将来はリアルな店舗をつくりたいです。
このまま死んだら後悔する。20歳で考えが変わる
田中:鈴ちゃんの病気について教えてください。
鈴東:脊髄性筋萎縮症(SMA)は筋力が下がっていく進行性の難病です。1歳半になっても僕がハイハイをしなかったみたいで、それを見た母親が病院に連れて行ってくれて。それで、脊髄性筋萎縮症Ⅱ型だと診断されました。
高校生までは障がいをポジティブに捉えることができなくて、自分に自信が持てませんでした。でも、20歳になって考え方が大きく変わって。
田中:20歳のときに何があったんですか?
鈴東:僕の病気には4つの型があって、その平均寿命が20歳だと母に言われて育ちました。母がお医者さんに話を聞いたり本を読んだりして病気の情報を集めてくれていて。子どもの頃から、僕に病気のことを話してくれていたんです。
20歳になるまでは「障がいがあるからできない」「障がいがあるから諦めた方が良い」と、全然やりたいことをやってこなくて。でも、20歳を迎えて「このまま死んだら絶対に後悔する」と思ったんです。それで、どんどんやりたいことにチャレンジしていこうと考え方が大きく変わって。後悔しない選択をしたいと思うようになりました。友だちを飲みに誘ったり、ものまねのオーディションに出てみたり……。いろんなことに挑戦するようになりました。
田中:特に印象に残っているチャレンジはありますか?
鈴東:2週間、カリフォルニア州のバークレーへ留学したことですね。進行していく病気なので、行くしかないと思いました。行かない選択肢はなかったです。今行かないと絶対に後悔するなって。それで、単身でアメリカに行ったんです。
そうしたら「やってみたら意外とできる!」と思えて。チャレンジできない理由を探すんじゃなくて、どうしたらできるかを考えるようになった一番の出来事でした。どうしたらできるかと考えるだけで可能性は広がる。考え方を変えると何でもできるんだなって。誰にも無限の可能性があると思えるようになりました。
田中:どうしてバークレーに行きたいなと思ったんですか?
鈴東:一番の理由は、バークレーが障がい者の天国と言われている場所だから。そう言われている理由は何だろうって。バークレーは障がい者の自立生活運動が盛んに行われた場所で、僕は英語と福祉を学びに行きました。
田中:実際に、バークレーではどんなことを感じましたか?
日本にいると僕は車イスに乗っている人として見られることがまだまだ多いです。でも、バークレーでは鈴東裕己というひとりの人間として見てもらえてすごく嬉しかった。僕もそういうことを大事にして人と接したいと思いました。
日本より障がいのある人とのコミュニケーションが積極的で、その人のありのままを受け入れる文化が流れているように感じましたね。例えば、僕がお店に向かっているのに気づいて、扉を開けて待ってくれた人がいたんです。他にも、僕が困っていることに気づいて「大丈夫?」と声をかけてくれた人もいました。
田中:バークレーへの留学は印象に残る大きなチャレンジだったんですね!フリーランスとして独立したのも、鈴ちゃんのチャレンジのひとつだったんですか?
鈴東:そうですね。独立して自分のやりたいことを仕事につなげようと思ったんです。自分のしたい仕事って何だろうと考えたとき、思い浮かんだテーマが障がい者理解でした。自分にしかできないことをしたいなって。それで、今は学校や企業で講演活動をしています。
鈴東:講演で一番伝えたいのは、障がい者と出会って障がいについて知ってほしいということ。障がいにネガティブなイメージを持っている人もいると思います。でも、それは出会って知る機会が少ないからなんじゃないかなって。「全然おもろいお兄ちゃんやな」とか「みんなと変わらんやん」と思ってもらえたら嬉しいです。
障がい者の「暮らし」や「仕事」を応援したい
田中:これからチャレンジしたいことはありますか?
鈴東:今、訪問介護や就労支援の事業所を立ち上げるために勉強しています。障がいのある人が自分らしく輝いて生活できるようになってほしいです。特に、障がいのある人の就労を僕は絶対に応援したい。利用者さんが本当にやりたい仕事ができるように、一緒に考えていける場をつくりたいです。
田中:これまで鈴ちゃんが仕事で苦労したことがあったんですか?
鈴東:専門学校を卒業してから就職するのに苦労したんですよね。当時は、面接を100社くらい受けたんですけど、障がいを理由に断られることが多くて。障がいがあることがこんなにもハンデになるんだって。結局就職先が決まらずに半年間はフリーターをしていました。
障がい者雇用で仕事を探した時期もあったんですけど、事務の仕事が多いんですよね。いろんな仕事をしたいと思っていたんですけど、それは一般雇用にしかない仕事だったりもして。障がい者雇用になると、どうしても職種が限られてしまうんです。
この現状を変えていきたいです。どうしたらその人の「こんな仕事をしてみたい」という思いを大切にできるか。「こんな風にしたらできるよね」「こんな方法もあるよね」と当事者と仕事の間に入って、その人の能力を活かす仕事を一緒に考えられる人になりたい。そんな仕組みをつくっていきたいですね。
田中:誰もが自分のしたい仕事をできる社会にしていきたいですよね!鈴ちゃんはフリーランスとして活動する前に、ボランティアコーディネーターとして専門学校で6年半勤務されていますよね。
鈴東:制度上の壁があって重度の障がいのある僕が民間で働くことは、現状ハードルが高いです。でも、僕が通っていた専門学校の職員さんが「私は鈴東くんと一緒に働きたい!一緒に働いてくれへん?」と声をかけてくれて。後に僕の上司になる方からの言葉で、すごく嬉しかったですね。
田中:実際に働く中で印象に残っていることはありますか?
鈴東:冬場に出勤するとき、寒さで手がかじかんでしまって。それで、車イスの操作を間違えて道で動けなくなったことがあったんです。いろんな人に助けてもらって何とか職場にたどり着いたんですけど、1時間くらい遅刻してしまって。手も動かせなくて、上司に遅れて出勤する連絡もできませんでした。それで、職場に着いたとき「こんなに迷惑をかけてしまうんだったら、みんなと働けない」と泣いてしまったんです。
そうしたら当時の上司が「そんなことない。鈴東くんにしかできないことがあって、鈴東くんに私たちが助けてもらっていることがたくさんある。鈴東くんができないことは私たちが助けるから、私たちができないとき鈴東くんの力を貸してほしい。だから、そんなことを言わないで、一緒に頑張って働こう」と言ってもらえて。それで仕事を続けられました。上司に出会っていなかったら今の僕はいないと思います。いつも僕のことを信じてくれたんですよね。この出会いは本当に大きいです。
上司と出会って、自分も誰かの力になれるんだって……。今まではみんなに助けてもらうばかりだと思っていたんですけど、僕も誰かの力になれると思えた出来事でした。人生の大きなターニングポイントになりましたね。
田中:そんなことがあったんですね。
鈴東:一人ひとりに寄り添って、その人の人生を輝かせられるようサポートできる施設をつくること。それが、僕の目標です。
一緒に場をつくっていきませんか?
田中:最後に、メッセージをお願いします!
鈴東:人と出会うことで人の可能性は広がっていく。ミーツに関わる中でそう感じています。ミーツではイベント当日が大切なのはもちろん、準備していく段階や打ち上げもすごく大切にしていて。運営メンバーとのコミュニケーションをすごく大切にしているんです。
ひとつのイベントをつくりあげる目的もあるんですけど、それまでの過程で関係性づくりも大切にしているというか……。イベントづくり、いや関係性づくりでしょ!みたいな(笑)それぞれが楽しみながらみんなで一緒につくっていくことを大切に、これからもミーツを盛り上げていきたいです!みなさんもぜひ仲間になってくださいね。
ユニbarサルも毎月第一木曜日の枠を飛び越えて、今年はスペシャルなイベントを開催します!その名も「24時間ユニbarサル」。夏の恒例番組「24時間テレビ」へのリスペクトを込めて、同時刻にイベントを開催します。多様なゲストをお招きして「明日を生きるきっかけ」を得られるような、アツい時間をみなさんと過ごしたいです。ぜひ遊びに来てくださいね。
田中:とても楽しみです!今日はありがとうございました!
▼【8月17日開催】「オープンミーティング」イベントページ
▼【8月24日開催】「オープンミーティング」イベントページ
▼【8月27日〜8月28日開催】「24時間ユニbarサル」イベントページ
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