やりたいことってなんだろう


やりたいことってなんだろう、という問いとの付き合いには終わりがない。

何かに出会い、経験が増えるほど、やりたいことの形が見えてくるようで…見えない。
もうほんと、むずかしい!

やりたいことがある人って羨ましい。
何かものすごい好きなものがあって、こだわりがあって。そういうのって理性ではなく感情から来るものだと思うし、遺伝子レベルで惹かれるものなんだと思う。
そういう無条件な好きがあると、それが原動力になるし、輝くし、人をひきつける。

私はあまり熱を注げるものがなくて、それがなんとなくさみしかったりする。好きだけど、ずっと続けたいわけじゃなくて、ちょこっと楽しいところだけやってあとは寝たい、みたいなものなら沢山あるんだけど…
これのためならどんな苦労も厭わない!みたいなのはない。

まだ出会ってないだけなのか、そもそも熱が低めのタイプなのかはわからない。

でもね、昔は、やりたいことはという問いに対する答えは霧のように形がないものだったけど、今は雲くらいまとまった形になってきたような気がする。

それは、色々経験してきたからだと思う。

やりたくないけどやらなきゃいけないこと、やりたいのかやりたくないのかわからないこと、やりたくてやってみたけどそうでもなかったこと。
自分からの行動にしろ、外部(会社とか)からの要因での行動にしろ、なんかとにかく色々やってきたから、見えてきたものってあるな~って思う。


私は昔からイラストや漫画を上げるSNSのアカウントを何個も作っていて。。(遠い目)
「絵が描きたいのか」「人に見てもらいたいのか」「人と繋がりたいのか」「何かを伝えたいのか」「仕事がしたいのか」「人の役に立ちたいのか」そのあたりは自分でもわからないまま、なんとなく続けていた。(途中で更新が途切たアカウント数知れず…)

そんな感じで色々やってきて、仕事辞めたタイミングで「自分の内面とか書いてみるか~」ってなんとなくここみ(今やってるインスタ)のアカウントができた。

そしたら思いがけず色々な人と出会えて、なんと今は連載もさせてもらえて…過去の私、信じられる?

そしたらある時ふと「あっわたしこれがやりたかったのかも?」って思った。
自分を表現して、人と繋がりたい。人と繋がるっていうのは、人脈とかではなく、心の話。
自分が書いたものを通して、人の心と繋がる。これが私にとってなによりの喜びなのかもしれない。

ただ、その輪郭が見えても、次は「文で?絵で?」「具体的になにをかくの?」「何を伝えたいの?」「どう思ってもらいたいの?」「なにを得たいの?」「それを仕事にするの?」「本当にそれがやりたいなら趣味にしといたほうがいいんじゃない?」とか、頭の中は全然ぐちゃぐちゃなんだけどね…笑

でも今思うのは、「やりたいことってふわっとしててもいいんじゃないか」ってこと。

これをする!あれをする!って具体的に考えるのが大事だと思っていたけど、そうするとそれに縛られちゃうような気がする。(それがいいことでもあるんだけど)
はちゃめちゃにやりたい!みたいなことがない時は、無理に決めなくていい。

やりたいことというよりこんな感じの道がいいな~っていうふわっとした方針を決めて、それに合わせて色々やってみる。
その中で見えてきたものを使ってまた次の道を探せばいい。
そうやって迷いながらも歩いていれば、きっと何かが見えて来るはず。


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