見出し画像

ノート

罫線に沿って文字を書くのが苦手である。
できれば2行分くらい使って1行を書きたいし、途中から斜めに書いたりもしてしまう。
罫線の中に文字を入れて、真っ直ぐに書くというのがすごく苦手なのである。気弱なくせに、おおざっぱな性格なのだ。

だけど、せっかく線があるのにそれを無視して書くのは、ノートに失礼な気がして、ほんの少しの後ろめたさがある。
綺麗に行の中に文字を収めている人を見ると羨ましいなぁ、ノートも喜んでるだろうなあと思う。

罫線が苦手といいながら、実は白紙は白紙で苦手なのである。
自由を手に入れたら、とたんに緊張してしまう。前述のとおり、おおざっぱなくせに気弱なのだ。
何かしらの目印というか、基準というかはほしい。なんだか人生みたい。

だからなのかわからないけど、方眼、もしくはドットのノートがすき。基準はあるけど、どこをどう使っても、斜めになっても咎められ無い感じがする。
縛られすぎず、自由すぎずでちょうどいいのだ。


そんなわけで罫線通りに書くのが苦手な私だけど、学生時代は大人しくきちんと罫線通りにノートを使っていた。
だって、もしノートの使い方が汚いとかそんなことで怒られたらいたたまれない。怒られるのは怖い。

ただ、授業のノート以外、つまり交換ノートは自由奔放に書いていた。
最初こそきちんと線に収めて書いていたのだけど、徐々に文字が2行を占領したり、斜めになったりしていった。
友達も同じように自由に使いたいタイプだったようで、我らの交換ノートは「自由奔放」を方針とすることにした。
自由奔放に使う功能は、きちんと書こうとしなくていいからお互いに取り繕わなくなること。今も続いている大切な交換ノートである。

そんなこんなで大人になった今も、もちろんノートは自由奔放に使うのが好き。ノートは常に机に開いてあって、アイデアや落書きなどを適当に書いている。
もし人に「見せて」と言われても、見せられるページがない。

実は時々、ちゃんと罫線に沿って書こうとすることもある。特にノートの使い始めの1ページなどはちゃんと書こうとする。
だけど、そうすると途端に筆が止まる。ちゃんとしようとすると私は途端にダメになってしまうタチらしい。


罫線に沿うことをあきらめた私。
あきらめって、実は可能性を拡げるんじゃないかなと思っている。

思えば、私の会社員時代の良い評価をあえて言うのなら、「粘り強い」だった。
1人でひっそりと、あきらめず最後までやりとげる。
これは単純な話、人に頼るのがとにかく苦手なのと、「終わりません」「できません」と言って怒られるのが、人に嫌な顔されるのが怖すぎるから「やるしかねぇ」の一心だっただけなのだけど。
チームで頑張るのも、アピールするのも、コミュニケーションも、なにもかも苦手な私に残されたのは「あきらめない」という道だけだと思っていた。

だけどどうだろうか。一言では表せないけど、色々あって会社で頑張ることをあきらめた私は、絵の仕事をするという選択肢を見つけた。
時々、なぜ私は今ここにいるんだろう、と思うことがある。
でも、多分、色々なことをあきらめたり、あきらめなかったりして、選択してきたんだろうな。
あきらめなかったから得られたものもあっただろうし、あきらめたからこそ出会えた道もあったよな。

罫線に沿って書くことは苦手だけど、書くこと自体は好きなんだ。
そのことは、私のぐちゃぐちゃのノートが証明してくれている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?