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流されること


1年ほど前の日差し豊かな春の日のことである。
引っ越しの手伝いで故郷に帰り、姉の新居に数日間滞在していた。
新居といっても今はもうない実家からすぐ近くのところなので、見知った場所だった。

引っ越しが落ち着いたので姉は仕事へ向かった。
1人になった私はさてどうするかと悩み、せっかくだから散歩でもしようかな、と外へ出る。

ちょっとした探検心から、今まで足を踏み入れたことのない小道を意識的に選んでみた。
古い民家には葉が生い茂った木があり、名前はわからないけどかわいい黄色い花がたくさん咲いている。こういう時に〇〇の花が香っていた。とか書けたらいいのに、私は名前を覚えるのがすごく不得意である。
心地よい木漏れ日を浴びながら、春っていいなぁ。引っ越しって大変だけど、ちょっとワクワクするよね。とか考えながら気持ちよく歩く。


見知った道だとなめていたが、少し奥に入れば初めての道があっさりと現れる。
道は私の想像よりはるかに多く、存在しているようだ。

水路に沿って歩いていると、ちょっとした休憩所(屋根と机と椅子で構成された、公園などによくあるもの)があった。
私は、外にある誰でも使える机と椅子に弱い。つい座ってしまう。そこにお弁当や団子があれば最高なんだろうけど、そう準備がうまくいくことは少ない。
ともかく、外に机があるってだけでなんだかワクワクする。


それはさておきである。
水路で、鴨が流れていた。溺れていたわけではなく、泳いでいるわけでもなく、ただ流れていた。
水流に身を委ねている感じだろうか。

鴨の表情がわかるわけではないので感情は読めなかったけど、客観的に見るとのんびりと、流されることを楽しんでいるように見えた。

なんかいいなぁ。気持ちよさそう。と小さくなる鴨を眺めていた。



急に話が飛ぶけど、私も昔、流れるプールが結構好きだった。
流れに身を任せるのは楽しい。ワクワクする。
ウォータースライダーほどの刺激はないけど、普通のプールよりも景色が変わったりして楽しい。
進行方向に進もうとすればいつもより早く進めるし、流れないようにプールサイドにつかまって抵抗を楽しむのも、ただ浮いて流れに身を任せるのも良い。

「流れる」関連でいえば、もう一つ思い出すことがある。いや、これは「流される」の方か。

それはマツコデラックスさんの言葉で、
「アタシはそんなに強い人間じゃないし、流されて生きてきたからこそわかった部分もあるのよ」
「流されてみると自分が絶対チョイスしない場所に着いたり、見えない景色が見えたりするから、そこでアタシは気付かされてきたタイプ」
というもの。

この言葉に私はいたく感動した。

その通りだ!と。

事実、私も結構、流されるタイプだと思う。
特に23歳くらいまでは、その傾向が強かった。
何事も格段強い意志というものがないタイプなので、流れに身を任せたいなと思ってた。


大きな流され(流されってなんだよ)でいくと、まず就職に関しても、大した意志もなく応募できるところに応募して、最初に受かったところに就職したという感じ。

その会社では全国転勤があり、行きたい理由も行きたくない理由も特になかった私は、800km離れた広島に引っ越すことになった。
(引っ越しや異動を経験したことがなかったから、大変さをしらなかった。今は嫌です笑)

ご飯でも遊びでも、誘われたら断る理由も見つからないからとりあえず参加する、ということがほとんどだった。

そんなこんなで、色々と流されてみた結果だけど、「それはそれで良かった」と思う。

もしあの時やあの時に「こうしたい」という頑なの意志があったら、また別の人生になっていただろうな。
それくらい色々なことを経験し、大切な人にも、嫌な人にも出会った。広島もすごくいいところだと知れたし。

色々流されてきたからこそ見える景色がここにあるんだなと、思う。

ここ最近は、そもそも、流されるような場所から身をひいている。
なので、必然的に自分で泳ぐしかない。
それはそれでやはり、大変だけど、楽しくもある。


なんにでも言えることだけど、
どちらもそれぞれに、でいいのだよね。
自ら泳いでいくのも、流されるのも。

ただ一つ忘れていけないことは、鴨は、泳ごうと思えばいつでも泳げるということ。
ボーっと浮くのもよし、流されてみるもよし、泳ぐも、歩くも、飛ぶもよし。
流されるのは、決して悪いことじゃない。(悪事に加担するとかじゃなければ、笑)



選択肢はいくらでもあるし、なんでも選べるんだということ、覚えておく。

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