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日めくり5分哲学『自由の哲学』を読む まえがき⑧

少し「あたま」を使って
命題について思索する5分間、
ホントの自由とは、何か…

 本書は最初、抽象的な領域に入っていく。そこでは思考内容が鋭い輪郭づけを受けなければならず、それによって確実な点に到らねばならない。しかし読者はこのひからびた諸概念から具体的な人生の中へも導かれる。人生のあらゆる方向を生きようとの望むならば、抽象化というエーテルの国の中へも入っていかざるを得ない、というのが私の立場なのである。感覚で享受できるものだけを享受しようとする人は人生の美味を知らない。東洋の学者は弟子に最初の数年間、断念と禁欲の生活を送らせる。そしてその後になってはじめて、自分の知っている事柄を伝える。西洋の学問はそのような畏敬の行も苦しみの行も、もはや要求しないがその代わり善き意志と、僅かな間でも生活の生まな印象から離れて、純粋な思考世界の領域へ赴くことを要求している。

<命-P-⑧-1>エーテルの国の歩き方!(仮)

<命-P-⑧-2>感覚で享受できるものだけを享受しようとする人は人生の美味を知らない


 人生には数多くの領域がある。その一つ一つの領域のために特殊科学が発達を遂げている。しかし人生そのものはひとつの統一体であり、個別領域の中で深化していこうと努めれば努める程学問は生きた世界全体の認識から離れていく。再び人間に充実した人生を返してくれる諸要素を個別科学の中に求めようとする知の在り方が必要である。専門的な研究者は認識内容を通して、世界の諸活動を意識化しようと望んでいる。本書は、学問それ自身が有機的に生きいきとならなければならない、という哲学的な目標を掲げる。個別科学は本書が求める学問の前段階に立っている。芸術にも同じような状態が観られる。作曲家は作曲法の基礎の上に立って仕事をする。作曲法というのは、知識のひとつの総体であり、それを所有することが作曲上の必要な条件となっている。作曲するとき、作曲法の諸規則は人生という現実に仕えている。それと同じ意味で哲学もひとつの芸術である。真の哲学者はすべて概念芸術家であった。彼等にとって人間の諸理念は芸術素材になり、学問の方法は芸術技法になった。このことを通して、抽象的な思考は具体的で個的な生命を獲得する。理念は生命力となる。その時、われわれの活動的な現実意識はもっぱら受動的に真理を受け容れる以上の課題を背負っている。

<命-P-⑧-3>人生の数多くの領域とは


まえがき⑨へつづく

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