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今回から、「悪」についてどのように認識するべきか、考えて参りましょう。 「あく」を「悪」たらしむるものは 「邪心」、内なる「惡」である。 「悪の認識」を深めるためには、心に蔓延る「邪心」を見抜くことが必要となります。これは、仏教の貴い教えの中に「煩悩」や「随煩悩」として、あるいは「身口意」の極意として語り継がれる言い伝えがあるので、その解説をしながら、「あく」の大本である「邪心」、すなわち内なる「惡」の存在を認識して参りましょう。